2018年05月26日

[118] 晴れて 'For demand'

体系物理のテキストが来た!!
 いつものように金曜朝、GHSにいくと ‘晴れて’『体系物理 ver5』のテキストが
届いていた。280頁、力学・熱力学・電気磁気力学・波動(力)学の4部立てで、
いわゆる「原子物理」は別冊となる。これには、GHSにおいては特講扱いの、
「モーメント」,「万有引力」,「交流」もふくまれる。何事の学びにも、
順序というものが大切だからである。 
   体系物理表紙.jpg
           [表紙]

要するに、物理全体を見通すことが先決であり、メインストリートをまずは
歩き通すことが体系的学びの必要条件だからである。
「ぶらり散歩」のごとくにきまぐれに脇道に入ってしまうと、
全体を見損なうものだからである。
しっかりとこの4本柱を主幹として学べば、その後に枝葉を伸ばすのは自在である。
その意味で、体系物理テキストver.5は、学びの順序と全体像の把握、加えて、
論理の階層性を一層鮮明に打ち出した書き方となっていている。
たとえば、物理法則と物理公式は以下のように一覧できる。
体系物理法則と公式.jpg
   
覚える法則と公式はたったこれだけなのだから、
体系的に学べばこれほど記憶の楽な科目はないのであるが、
法則も公式も、それを変形した数式の区別もないまま、
雑学的に覚えるような勉強しかさせてもらえないから、
出自として本来的に「美しき物理」を、
「アヤなき物理」と見紛うた受験生は苦悶呻吟する......
だが物理への憧憬は止まず・・・それが過去の自分でもあるからこそ、
徹底的かつ「華麗なるリベンジ」(真海さんの影響?)をしたかったわけで、
このver5において、私としてはその思いが十二分に果たされたとの感慨である。
それが「晴れて」という意味である。

本文中は、以下のように色分けされている
階層性.jpg      
たとえば、法則と公式を区別して、
物理サンプル2.jpg    

というような色分けがあり、
また、一般法則レベルと物理法則レベルを区別して、
    
物理サンプル.jpg


というような具合である。テキストの文章を読むこと自体が、
論理の階層を上り下りする訓練になっていることを、
受験生は、ビジュアルな形で自覚・意識できるわけである。
これはひとえに、自分はこういうふうに教えて欲しかったという、
「仮定法過去完了」に他ならない。

これで ‘晴れて’ 自分への物理の宿題は終えた。
後は、田川先生の若き才能に任せて、次なる地へと漕ぎ出したい。


2018-1月〜5月


まずは2ヶ月かけて、

漢文ドリル表紙.jpg
  [120頁 B5 ] モノクロ・簡易製本

次に、体系化学演習(セメント&ドリル)として、3月に

 化学表紙.jpg
      [248頁 B5] 本文モノクロ


 定量化学表紙.jpg
           [122頁 B5 ] 本文モノクロ

3月末から開講までに、

 有機化学表紙.jpg
        [224頁 B5]  フルカラー

そして、開講から連休にかけて、体系物理と
立て続けにテキスト化と改訂を果たしたことになる。
年明けからは、予備校講師にとっては楽しいオフなのであるが、
テキスト作りに明け暮れた、近年、最も忙しく密な時間となった。
晴れ晴れと、だが正直なところ何気に疲れが出てきているところ。
まあ、しようがない。

・・・そして、一息ついたあとのミッション、いや、愉しみは、
『体系化学』・改定版の完成である..................。
posted by Koujin Amano at 23:53| 体系化学

2018年05月16日

[117] ‘オンデマンド’の恩恵

漢文テキスト・熱中の余波
 昨夜ようやく、体系物理テキスト ver5がデータ入稿となり、印刷開始となった。
来週には、全280頁の、GHS体系物理カリキュラムの基本書となるテキストが到着する予定である。
ここまでは昨年までの力学編のみの独立したテキスト(モノクロ印刷)で授業をしのいできたが、
来週からは、合本のフルカラーテキストでの授業が可能となる。

授業自体に支障はないものの、開講一ヶ月もすぎての配布というのは、本年のGHS生には
大変申し訳なく思っているが、その分ver4と比べて加筆修正した部分はかなり多く充実したものになった。
基本書としてはもはや完成版といってよいと思う。
ここからは、対応する演習書のテキスト化にむけて解答・解説を充実させていくことへと進みたい。
いわゆる問題集としては、部分部分ではできているが、それを統合してテキスト化するには
まだ熟成のための時間が必要である。

ちょうど一ヶ月遅れの原因は、疑いなく「漢文句法ドリル」のテキストの入れ込み過ぎであり、
一ヶ月で作るつもりが、途中から構想拡大し、『漢文解析』で説けなかった内容も盛り込んだため、
倍の2ヶ月を要したことにあるのは明らかである。

おかげさまで、市川久善による漢文基礎の授業は、一層の楽しさを増して快走している。
おそらく8月くらいには、この基礎テキストを終える予定であり、授業ごとに校正をすすめ、
終了次第、テキストの印刷に移ろうと思っている。

ところで・・・
 このように書きながらも、実は今年度、私は体系物理の授業を担当していない。
GHS卒生であり、かつ京大理学部の卒生である田川先生が物理の主担当として
活躍してくれているからである。これぞ、長年夢にみていた「介護状態」である。
「ぼくが物理をやりますから、化学の授業のコマを充実するとともに、
 漢文や医系生物セミナーにエネルギーを注いでください」との申し出が頼もしくも嬉しかった。
最終理想目標は、物理と化学から完全に手が離れて、漢文や古文や倫理社会のような
好きな授業を楽しくやりながら晩節をすごすことであるが・・・・。

GHSの化学・物理の授業は、基本的には卒生でなければ務まらないが、
逆に、卒生であれば同じように指導できるように技術化されているから、
それにテキスト化・マニュアル化が加われば、指導法の試行錯誤なく、
講師のもつ個性が生かせることになる。そのためのテキスト化である。

オンデマンド
 これで、本年度のテキストはようやく出揃ったわけで、
今月中にも、GHSのHPに電子ブックとして公開することになるだろう。
体系化学に加えて、定量と定性の演習テキスト、有機化学、そして体系物理と
製本化してきたが、その波の元は、ここ二、三年の出版業界の変化である。
IT・ネット社会の進展により「本が売れない」ゆえの出版不況・・・などと言われているが、
逆にそのIT・ネット社会の変化が、GHSのテキスト作りを後押ししてくれている。
普通、出版物といえば、オフセット印刷といって、輪転機を回せばあっという間に
千、万と刷れてしまう技術が主流である。

だから『体系化学』や『漢文解析』は、1000部が最低単位であり、
何万、何十万・・・多ければ多いほど単価は安くなる。
逆にそれ以下だと、すごく高くつくので、簡単には出版などできない・・・・・
2008年当時はそんな環境であった。在庫がなくなるのを待って、
それからようやく第二版として修正が可能となる、実にもどかしいことであった。
体系化学のような本をザっと印刷すると200万円ほどの費用がかかる。

GHSのような少人数の生徒のためのテキストをつくるには、
中綴じでは32頁くらいが限度だったし、それより多いと、コピーしたものを
とじたくん」でカバーの背を熱してくっつけて簡易製本してみたり・・・
と色々やってきた。懇意にしている印刷屋さんに頼むこともできたが、
最低100部で、モノクロとなる。それでも10数万円かかる。
カラーだとその数倍となるとの見積もりであった。とんでもない!!

実は、100部もつくってしまうと、GHSの人数なら、2-3年間は改定ができない。
それはむしろ『体系化学』のときよりも環境は低下していたともいえる。
今回、物理の力学編の残部あったのも、そのおかげではあるが、その間に、
年々GHSのカリキュラムは発展を遂げるので、これもまたもどかしいものであった。

そこに登場してきたのが、オンデマンド印刷である。
オフセット印刷では、大きな紙に印刷するので、基本的には頁数は16の倍数となる。
頁が余ったときにはそこに広告や告知をいれて埋めたりする。
ところが、オンデマンドは、業務用のプリンターで印刷し製本するので、
頁数も4ページ単位で指定できる。物理テキストは280頁だが、オフセットなら、
16×18=288で、あと8ページほど何か付け足さないといけないところであったが、
オンデマンドなのでぴったりおさまった。

化学は60部、物理は50部の少数部数。少なくともまだ来年は使うつもりの概算数である。
これをネットで注文する。私が利用しているのは、なんと京都の印刷所であり、
たまたまネット上で出会ったにすぎないが、上記テキストはすべてここでお願いしている。
wordでつくって、pdfにして、ファイルをネットで送るだけである。
フルカラーであるにかかわらず、モノクロで100部つくったときと費用は大差ない。
印刷業界も生き残りの方向をこういうところに求めつつあるということだろう。

その新しい波のおかげで、GHSのテキスト化は大いに進展しつつあり、
コピーでつくっていたものや簡易製本に比して、思った以上に質の高い印刷物として
配布できるようになった。しかも、電子ブックとして公開もできる。
そんな時代が早々にやってきてくれたことを歓迎したい。

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 基本的には、GHS外での頒布を想定して作ってはいないので余分はありませんが、
読者諸氏の中で、どーーーーしても欲しいという方は、
次週、電子ブック公開後、ご覧になって、GHSにメールで問い合わせていただければ
来年度に支障ない範囲で対応することになっています。
[モノクロのもので1000-2000円、フルカラーで2000-4000円]
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posted by Koujin Amano at 12:15| カリキュラム

2018年03月31日

[116] 体系化学・演習篇テキスト 完成&大リニューアル

漢文句法ドリルテキストの脱稿後に入れ込んだ事柄は、
通称「体系化学 Cement&Dril」という演習用テキストの完成である。
すでにどこかしこで述べたように、『体系化学』にある21+1回の演習問題は、
元々2倍の量があった。これを出版に当たって二分割し、半分をGHS内の授業で
演習用につかってきた。年々歳々、追加修正を重ねてきて、
整理統合の必要性を感じていた次第。

さて、『体系化学』の読者であれば常識であろうが、
化学は文科省的に「理論」・「無機」・「有機」に分かれるのではなく、
定量化学と定性化学に分けられるもの。有機・無機の各々に、
定量と定性の面があるわけである。
(これを受験生の俗には「計算問題」と「知識問題」と言ったりする)
その定量の方を主として、体系的な筋を通したのが『体系化学』の主コンセプトである。

すると、当然に2つのことが課題として上がることになる。
第一に、定性化学として、体系的な筋を通すとどうなるのか?
この点をここ数年の授業を通して問題のセレクトとその配列の妙を追究してきたわけである。
それは同時に、定性化学の体系的なフレームを形成することになった。
とはいえ、今回のテキストはあくまでも演習テキストであるので、
それをもとに語られない限りその姿はない。
・・・もっとも、参考書として書くつもりも暇もないが、しかし、
やっていく内に、解答・解説が高じて、文章データが膨れていくかもしれない。
そうやって『体系化学』も現れ出でたわけだから。

第二に、体系化学演習の問題集は、定量と定性をどうか扱うかである。
今回の演習編テキストは、2冊同時に脱稿となった。
「体系化学C&D 定量化学篇」テキスト 112ページと、
「体系化学C&D 定性化学篇」テキスト 248ページである。

これには、2006年から2018年までの13年分のセンター試験の問題のすべてと
私立医学部入試の良問を取り込んである。その意味で、従来の内部テキストから大幅にページ数が増えた。
・・・この一ヶ月、「ゆとり」から「先祖返り」へ(ここ数回のブログ参照)の10数年を
センター試験の出題を通して歩き直してみたことである。

センター試験化学の範囲が拡大し、そのまま私立医学部の学びと重なるにおよび、
センター試験の30数年分の蓄積は、化学のあらゆる範囲を万遍なく問うことのできる
「良問の森」(?)が形成された感がある。
かつての共通一次・センター試験では、問題作成範囲が限定され、
そのまま私立医学部の対策に資することはできなかったが、いまや、センター試験の学びが、
私立医学部受験のチャンネルを増やすことにもなっている。

今年のGHS生は、化学の学びを、定量と定性という二本柱を相互に行き来しつつ学べるという
特典が与えられるわけである。

本年は30数名の総人数少数ながら、実数で10名余の医学生を送り出した。
にもかかわらず、ますますパワーアップ。
・・・・・・同じことをやっていると私自身が飽きてしまうので・・・
泳ぎつづける、登りつづける、掘りつづける。
さて、来週4/8は開講に先立つ恒例の「プレ講座」(実質、フライング講座である)で、
新しい顔とファースト・コンタクトを果たすこととなる。
今年も、もっと、愉しませてくれよ〜!!
posted by Koujin Amano at 19:33| 体系化学

2018年03月03日

[115] 次年度計画、早くも確定!!

満席! 満席!! 春事異聞
 GHSのHPにて周知のことと思われるが、昨年、募集締切が
最速の3/15であったという記録を彼方に追いやるごとく、
総人数が35名という少人数とはいえ早くもほぼ定員一杯となり、
新規募集は一時打ち切り、塾長面談は受付停止状態となっている。
国立前期の発表もまだ・・・春まだ浅いというのに。

今や、GHS昼間部は理系オンリー、医歯薬志望者のみという
状態となっている。私立医学部の難化に一層の拍車がかかり、
ゆとり教育とやらは遥か彼方、受験生が戦って勝てる武器をもつしかないと悟り、
本物志向に目覚めたということであろう。ネット時代がそれを後押ししている。

GHSは、他の同業者の威勢のいい美文宣伝とか、
どうにも胡散臭い高合格率宣伝とは一線も二線も画し、
実際のテキストまで惜しげも無くしっかりと公開し、
(・・・公開しても簡単には追随はできないとの自負があるからであるが・・・)
このメソッドに「共鳴したものだけ来て欲しい」というスタンスである。
しっかりと教育内容まで吟味して、決断してきてくれる生徒ばかりだから、
断る理由がなくてどうしても、申し込み順になってしまう。
GHSは、1993の開校以来、時々の風潮がどうあろうと、
指導要領や試験制度がどうコロコロ変わろうが、
符合も迎合もせずに、受験のあるべき姿を追究してきた。
それだけであり、不遜な言い方をすれば、ようやくにして
「時代がそ本物を求めるようになってきた」にすぎない。
もちろん、GHSにとってそれゆえ不遇の時期、生徒集めに苦労する時代も
あったことを付記しておきたい。

次年度カリキュラム
 そんなこんなで、昨日、一ヶ月ぶりにGHSを訪ねて、
今年の生徒の戦いぶりと嬉しい成果を知り、さらに、
次年度のカリキュラム・時間割の概要を決めてきた。
これも例年より一ヶ月早い動きである。
要点だけ記しておくと、来年度は私は基本的には体系物理の授業から
手を引く、というか次世代の英才に完全に任せることにした。
おそらく関わるとしても夏期講習などで、テーマを選んで
「特講」を好きなようにやりたいようにやる、というだけになろう。
その空いた分は、もちろん第一に予告どおり漢文の市川モードにスイッチし、
新たに創作したテキストで、新たな企てをする(漢文ブログ参照)ことにした。
また、物理をやらなくて済む分、集大成段階にきている化学アドバンス演習が、
さらなる衣装をまとって登場することになるだろう。

開講まであと一ヶ月余、さて、次は何に没頭してみようか。
posted by Koujin Amano at 21:50| 体系化学

2018年02月24日

[114] センター試験 大きな弧を描きて

昨今のセンター試験の、つまりは・・・
 前回、共通一次試験からの流れを概説しておいたが、
その結論は、理系の理科に関しては、
     「センター試験用の勉強は不要なり」
という逆説的なものであった。
その理由を物理を例に、端的に述べれば、
センター試験のための範囲制限 (かつての物理Iなど)がなくなり、
出題範囲は「物理全体」となったこと。
マーク式と記述式の違いがあるだけで、「やや難+標準+易」とりまぜた、
バランスセットとなっていること。
したがってこのままマーク式の私立医学部の入試とならべても遜色ないこと。

かつては、平均点を揃えるために「センター試験らしい問題」と揶揄された、
「文系にも解けるように」と配慮した問題作りが姿を消した。
文系と線引きしたことにより、遠慮なき「ふつうの理系の物理の問題」となった。
しかも、選択式であるから、キチンと答えがでるように、数学的にも、使用文字にも
配慮がしてあるので、むしろ、適切な演習問題素材となっている。

これはすなわち、まともに物理を学んで、記述式の答案をつくれる実力を涵養することを
第一義とすればよいということで、センターだの私大だの、二次だのいわなくても、
物理全体をまともにやればよい、という環境になってきたのである。

こういう話をすると、共通一次より前の世代の方なら、あれ?と思う起こすかもしれない。
一次試験がマーク式で、理系は、物理や化学は全範囲、社会も選択する必要がある・・・

大きな弧を描きて
なんだ、これは、共通一次試験導入の前に、東大が独自でやっていたのと同じじゃないか?
・・・私も知らないかつてだが、東大入試にはその昔、選択式主体の一次試験があり、
センター試験と同様に、理系でも国語や社会も選択必須、理科二科目は全範囲、
それを突破すると、二次試験が受けられる、という独自の2段階選抜であった。
現時点から、30数年前を見遥かしてみれば、なんのことはない、
センター試験は大きな弧を描いて、かつての東大2段階選抜入試スタイルへと回帰したのだ。
もちろん、数学や理科には、文系・理系での区別がなされていた。

そもそも「共通一次試験」の「共通」たる所以は、
「文系理系を問わず高卒程度として共通の・・・」という点にあったから、
理科科目は、全範囲にするわけには行かず、そのため全体を共通試験用に分割して、
たとえば化学IとIIとし、文理の共通部分をつくったのである。
(ならば世界史や日本史も分割してもよかったが、歴史だけにさすがに分割できず、
こちらの対応は今に至るまでない。理系は「基礎日本史」とか「基礎歴史」にして、
中学歴史+αのような科目にすれば、理系の学力の底上げもできようかと・・・。
今ようやく、わずならがらそういう動きもあるようだが・・・・。)

文系・理系の区別なく共通の試験をという大義が、試験制度をぐらつかせてきたと言えよう。
「文系でも化学や物理で点が取れるように、問題をセンター試験らしく(易しく)する」
それでもだめならと、「IとIIの線引きを変えて、センター試験の範囲を絞り内容を希薄にする」
・・・これらは「ゆとり」という隠れ蓑の下で、正当化されてきた結果、
一時は、化学の計算問題がほとんどつくれないような所まで骨抜き状態の苦しい(貧しい)出題内容だった。
これは逆からいうと、理系が理系として試されていないという意味で「悪平等」といえる。
「共通」の意味を履き違えた結果の不平等であることに気づくのにどれほどかかったか。

遅きに失したかもしれないが、とにかく「ゆとり」の時代からの掌返しの反省期に入り、
少なくとも、理科科目は、理系にとっては手応えのある、実力勝負の出題となった。
文系のことなど考えなくて良いから、私立医学部でも採用したくなるような
難易度と範囲の試験となった。だから今は、センター試験利用で医学部に入れる定員枠が
各私立大学にある。国立志望者でこのルートから私立医学部に入ったGHS卒生も少なからず。
各大学がオリジナル問題を作成・採点する労力と人材の不足から、
やがては私立医学部を中心に、「国立・私立共通試験」となるやもしれない様相である。
文科省も(林くんも) 新たな「共通」の意味を見つけたり、でいいのではないか。

自分らの受験時代は、心のどこかで「センター試験用の理科や数学」といった色眼鏡をかけ、
それなりの対策をする、ということに時間を割いたものであるが、今は昔、
理科科目が先駆けとなって、そのうち、センター数学に数IIIまで出る本格的な「理系数学」が
登場するのではないか。それでいいではないか。理系なのだから、「ゲタ」はいらない。
逆に、英語はセンター試験から外していいだろう。
英語という語学と、英語という科目は違う。
今のような語学レベルの英語の試験なら、民間資格試験で十分代用できる。

もっとも、国語は文理共通でよい。「共通」という概念を貫くべきはここしかない
それで十分ではないか。理系用の国語などつくって甘やかしたら、
まちがいなく理系としてのレベルが下がる。国語につよい理系こそ本物である、
・・・という姿勢は(GHSを見倣って ⌒-⌒; )堅持すべきである。

そもそも、理科科目のように、文理で区別すべきところを「共通」としたことに
根本矛盾があり、30余年の紆余曲折を経て、ようやく「答え」に辿り着こうとしている。
その意味でも、化学も物理もセンター試験での高得点目指すことと、
GHSでの各科目のまっとうな学び、体系的な学びとがさらによくシンクロするはずだ。

私立医学部志望者も同じ学びでよい。センター用の物理化学もなければ、
私立医科学部用の物理化学もない、そんなバカげた「対策」商品が流通した受験界でも
ようやく浄化作用が働くのではないか。
posted by Koujin Amano at 14:56| 入試制度

2018年02月13日

[113] センター試験 難化(上等)×2 共通一次世代へ

 今回は、受験生というよりはその親御さん、
つまりは50代、かつての共通一次試験世代の方々に、
現今のセンター試験の消息をお伝えする形で、今年のセンター試験を
振り返ってみたいと思う。

共通一次 事始め
 今を去ること30年以上前のこと、センター試験の前身である
共通一次試験を受けたのは昭和54年卒(1979)の世代から10年間である。
その初回を受けた「ランドマーク」でいうと、林芳正・現 文部科学大臣、その人である。
彼は共通一次初年度の受験生なのである。なんでそんなことを知っているかといえば、
林くんは私の出身校である山口県立下関西高校の「先輩」だからである。
本題からそれるが、林くんは極めて優秀で、現役で東大文一に合格。
「共通一次の数学なんて、200点当たり前でしょ」と‘公約’していた、と。

 それはさておき、諸々の批判渦巻いた共通一次試験の創成期に受験生であった
親世代は、子供たちが受験期となっている頃である。
今のセンター試験のあり方、特に昨今のセンター試験の変化は、
かつての共通一次のイメージとダブる点とまったく異なる点が混在する。
我が子を取り巻く受験環境を正しく理解してあげる一助になれば幸いである。

センター試験は「適性試験なり」
 もっとも、試験全体に触れるのは荷が重いので、理系、医学部受験生にとっての
今のセンター試験という点に絞って話をしたい。
 さて、平成2年から後は、「センター試験」と名称を変え、
日程や内容やルールを変えつつ、色々な批判をかわしつづけて今に至る。
 ちなみに、私は平成元年入学なので、最後の共通一次を受けたことになり、
前回書いたように、そこから5年ほどしてGHSにかかわることになるから、
共通一次から今のセンター試験までをほぼ絶え間なく見てきたわけである。

 実は、共通一次試験の当初は中々難しいというより、厳しい試験であった。
スタートは5教科7科目で1000点満点という形であった。
これは、文系も理系も、理科2科目、社会2科目を選択しなければならないという
今にして思えば ‘無謀’と思える スタートであった。
「難しい」というより「厳しい」と言ったのは、文系にとっては理科が、
理系にとっては社会が、相当な負担となっていて、
理社に注力すると、英国数が手薄になり点数が伸びず、またはその逆という、
如何ともし難いジレンマがあり、科目数×知識量=膨大であるため時間が足りず
    「全科目を揃えるのは至難の技」
なのであった。したがって800点=8割越え自体が難しく、
東大・京大では850点越えが目標。
医学部となれば900点=9割が目標であった。

 その後、「共通一次導入はかえって負担増である」との批判を受けて
理社を一科目に減らしてみたり、現代社会や理科Iとか基礎理科とかいう
寄せ集め的科目をつくってみたり、日程を複数化して試験機会を増やしてみたりと
様々に変更されてはきた。しかし、すでにお気づきのことと思うが、
    「国立医学部合格のためには9割が目標」
という一点は、実は昔も今も変わりがない。平均点や負担がどうのこうのというのは
全体統計の問題であって、国立医学部という狭き門を争うような高学力層にとってみれば、
センター試験の小手先の変更など関係ない!!、
どんな状況でも9割とれ!! ということなのである。
したがって、現今のセンター試験900点満点では、800点越えが
      医学部への第一扉
となっている。その意味に限れば、共通一次とセンター試験は、
よくできたシステムである、と言えると思う。
生徒には、90%の意味をこんなふうに説いている。
「人間はミスをするものだから、完全ということはありえない。
 医療でもミスは許されないが、0にはできない。
 だから、ミスが起きてもすぐに察知され、事前に修正できるような
 セーフティーネットが必要だ。医療は医師単独でやるのではなく、
 チーム医療である。だから、一割のミスなら周りに気付いてもらえて、
 ミスとして顕在化しないで済むもの。だが、2割もミスするようなら
 周りもカバーはできない。それが医学部は9割という意味だ。
 センター試験ごときで2割もミスするようなら、
 医師としての適性は怪しい!! ということなのだ。」と。
そういう意味で、センター試験が最低85%取れないようなら、
国立医学部は潔く諦めるべきだし、そもそも出願先が存在しないのだから。

センター試験の「難化」とは
 国語・英語・数学に文系理系の違いはないので、物理と化学について述べよう。
昨年のセンター試験後のブログで、「難化上等」といった意味の主眼は、
「ゆとり」と称する骨抜き教育時代の、スカスカの物理・化学の試験から、
ようやくまともな出題をするような時代に戻った、ということにあった。
学び方が問われる、ごまかしが効かない、まともな学力を身につけた者だけが
高得点を得るという意味で、「まとも」なのである。
つまり、物理も化学も勉強の質で差がつくようになってきたことを歓迎しての
「難化上等」ということであった。

 しかしながら、今年更に感じている物理・化学の「難化」は、
昔の共通一次時代と異なる点がある。
共通一次の時代は、理科は、「化学I」「化学II」というように分かれていて、
Iが共通一次の範囲、I,II合わせて2次試験の範囲という了解であった。
だから、当時文系であった私も、物理Iと化学Iの選択をした。
その後、センター試験へ、そしてゆとりの時代となり、Iの範囲が縮小され、
IIへと追いやられてしまい、ある予備校の化学の講師は
「範囲が狭すぎて、計算問題もつくれやしない。問題にすることろがない」
との嘆きも聞かれたほどに、スカスカの試験であった。
こんなレベルなら、学習メソッドなどはどうでもよくなる。
暗記でも詰め込みでも格好はつく。
・・・・・そんな時代の真っ只中ではあったが、そんな風潮に迎合することなく、
GHSでは教育メソッドの探求と創造をつづけていた。
『体系化学』は2008年に世に出したが、そこに至るまで、GHS内部では、
小手先の暗記ではない、本物の実力をつける教育を一貫してやっていた証左である。

今のセンター試験の厳しさ
 かつての物理I、化学Iを学び、共通一次試験を受けた親世代にとって、
今のセンター試験の物理・化学をみると「驚愕の事態」かもしれない。
というのは、まずもって理科は、実質、文系と理系に分かれている
これはまったく正しい方向である。
(だったら、理系向けに地理基礎とか日本史基礎をつくるべきだが・・・)

 問題は、理系の「化学」や「物理」である。
この試験範囲は、かつての物理I,IIとほぼ同じであり、要するに全範囲である。
理系用に理科試験をつくったので、全範囲となったのである。
だから、「一次試験」といいながら、「二次試験」と範囲は重なり、
かつ、中堅私立医学部の試験(もちろん全範囲)とほぼ遜色ないものになっている。
だからこそ、私立医学部では、センター利用の定員を設けることが可能なのだろうし、
むしろ、そういう要請からこのような試験になってきているともいえよう。

 なんのことはない、いまや少なくとも理科において「一次試験」はない
というのが結論である。
取捨選択することなく、全範囲を、記述式でもキチンと解けるくらいの力をもたないと、
センター試験も私立医学部も突破できない、という状況である。

・・・実際、GHS長野校は、個別指導がメインなので、センター試験の物理の
演習にもべったりと付き合っている。
各予備校からでている、センター模試問題集を揃えると20数回分の演習ができるが、
どれもこれも本格的で、よくできていて、楽しい問題ばかりである。
これって、「体系化学」「体系物理」テキストに準拠しているんじゃないの?と
冗談(≒皮肉)の一つも言いたくなる。
キチンと答えがでてしまえば、選べばよいので、正しいとわかる点は精神的に楽でよいが、
その背景には、キチンと立式して解くという修練を積んだ実力が必要で、
でないと正解にたどり着けないようにできている。
つまり、センター試験高得点のためには、かつてのようなセンター試験用の勉強は要らない
という逆説である。

まあ、最後に、ちょっとばかりの自慢だが、そんな難化したセンター試験ではあるが、
今年のGHS生の平均点は、物・化ともに80点越えであった!! 
時代がようやく、本物を求めるようになった、きっとそういうことなのだろう。 
posted by Koujin Amano at 23:12| 入試制度

2018年02月01日

[112] 今年の目標 は‘ 天野光信の ’卒業'

 化学、そして物理...それから
 私がGHSで化学を教えるようになった頃のこと。
当時私は医学部の5年生。といっても再入学だから30過ぎた頃か。
GHSが昼間部生をとる「予備校」となってから2-3年だったか、
我が東大武道系サークルの「顧問」(という肩書き)であった村田代表から、
部の方に打診があり、
「化学の講師はいるのだが、その補助として教えに来てくれる学生はいないだろうか」と。
全学のサークルなので四年生で卒業していくのだが、私は5年生でもつづけていたこともあり、
役職は「助監督」であり指導する立場にあった。部員は50〜60名はいたであろう。
部員たちが皆で話合った末の結論が「助監督を推薦します」!(◎_◎;)というもので、
当時の監督から「部員の総意」ということで私が派遣されることになったわけである。
「お前ら、これだけ東大生いるんだから、よりにもよってなんで忙しいオレの背中を押すんだ!!」
と苦笑いしたが、振り返ってみればそれがその後GHSに長くかかわるようになる端緒だった。
・・・・・・『体系化学』も『漢文解析』もそこから始まったのであるから、
当時の後輩たちの「英断」( ´ ▽ ` )ノ に今更ながらも、感謝するべきだろう。

私は医学部を卒業してもすぐに臨床にすすまず、大学院に進んだので
GHSはそのまま継続することとなったのだが、気がつくとメインだったその講師は去り、
私が化学のすべてを任される講師として教壇に立っていた。こちらは「生徒の総意」である。
(もっとも、正確にはGHSの教室はフラットなので「教壇」はない)
大学院生としての5年ほどの間は、体系化学への模索と実践がつづくのであるが、
物理への関わりが生まれる。それもまた、物理ができるはずの東大理学部の院生の講師が、
「物理がわからないものの気持ちがわからない」つまり、できるが教えることはできない、
という事態となり、やはりまた「生徒の総意」で、物理の個別的指導からはじまり、
やがて気がつけば、自然な成り行きで物理の授業をするようになっていた。

10余年後、体系化学、体系物理という形になっていく道はこうやって始まったのである。

 化学・物理...いや実は 
 このように、GHSで化学や物理にかかわるようになったのは、わたしにとっては状況の産物、
成り行きとしてこういう結果になったにすぎないといえる。
実のところ、わたしがもっとも好きで、得意で、得点源であったのは英語である。
すでに、京大の経済学部に入る時点で、受験英語レベルはかなり極めており、
やるものがなくなって、英語の講師のすすめで英検一級の問題集をやっていたくらいである。
だから、「やりたいのは英語」なのであるが、「やるべきなのは理科」なのだった。

そして世紀が改ままらんとする2000年、大学を離れ、さらに東京を離れ、信州の地で、
ようやく医師としてのキャリアをスタートすることとなった。
そう、これもいろいろな偶然の出会いと状況の産物で、長野行きとなった。
自分が選んだのではない。たまたま、そこでやってみないかというオファーがあっただけ。
だから「なぜ長野なの?」という質問をよくされるが、
 実際、長野には縁もゆかりも、親もツテもない。
下関、京都、東京と暮らして、次に長野になった、というにすぎない。

ただ、こうやってみるとGHSでの理科についても、住処にしても、
自分から手を挙げて選んだのではないくせに、その中で幸せを感じることができるのだから、
呑気というかお得な資質(たち)なのかもしれない。

ただ、長野に来てもいいと思った理由の一つは、大学生の時から夏合宿といえば、
ほぼ信州のどこか山の中での合宿であったから、親近感があったからとはいえる。
でも、そんなのは、どんな大学のサークルだって同じだ、といえばそうだ。

長野がよい、と思ったもう一つは、新幹線と高速道路が通じていたということが大きい。
長野オリンピックのおかげで、両者が長野とつながった。
つまり、GHSをつづける条件があったことだ。この時期になると、GHSでの時間は、
わたしにとっては代え難いものとなっており、ここで'卒業'する気などさらさらなかった。
もし、オファーが長野市ではなく、松本市であったなら、もしかしたら断ったかもしれない。

かくして、週末は長野から東京へと通うスタイルがそこから10年余にわたってつづくことになる。

今年の目標 は‘ 天野光信の ’卒業'というのは
 といっても、GHSからの卒業ではない。天野光信の'卒業'である。
2008年の『体系化学』の時には、文字通り孤独な行軍であった。
GHSの独創のメソッドゆえに、指導者レベルでは、誰もわかってもらえる人がいなかった。
そして、another decade……
村田代表のブログにも取り上げられたように、体系化学、物理の薫陶をうけたGHSの卒生が
各分野で活躍するだけでなく、GHSでも教えることをつづける人材が得られるようになった。
かつて、「化学は講師ごとに教え方、解き方が違うものだ」と嘯いた化学の講師がいたが、
GHSの化学も物理も、ほぼ技術化されているので、誰が教えようが、解き方は同じになる。
そこに、各人の個性とオーラを被せればよいだけだ。

昔どこかで、「天野の化学」というような言い方は、受験参考書にはつきものではあるが、
わたしは絶対にイヤだ、というようなことを書いたと思うが、化学や物理という知識を
法則を発見したわけでもない者が、自分の名前を冠するなどあってはならないということなのだが、
さらにいえば、わたしの手を離れたとしても、志ある者が十全に受け継いで行けるだけの
体系化と技術化を果たしたと思ったからである。

これらの意味を込めて、できるだけ化学も物理も、後進に任せたい、好きなようにやらせたい
と思っている。関わりは必要最小限でいい。「補助」でよいのだと思い定めている。

だって、かつて、GHSで好きなようにやらせてもらえたからこそ、
従来のあり方、すなわち、「常識」・「常道」・「定石」にとらわれることなく、
自由な創造ができたのである。
それを常に見守り、支えていただいた村田代表の懐の深さゆえである。

これが「天野光信の'卒業'宣言」の真意である。

’卒後の進路'は・・・
 「'卒業'したら、その後、何をするの?」と問いたい人もあることだろう。
・・・まあ、今回は長くなったので、それについては稿を改めて、ということにしたい。《続》

posted by Koujin Amano at 14:36| 体系化学

2018年01月18日

[111] 今の時期、さぞかし……

やるべきこととやりたいこと
 センター試験が終了すると、私立医学部入試シーズンがはじまり、
GHS生達はそれぞれの闘いに赴く。
「入試はじまりましたね。センセイも今一番忙しいでしょ?」
時候の挨拶代わり、こんなふうに言われることが少なからず。
 しかしながら、予備校講師としてはこの時期がむしろもっとも暇で、
授業前後の準備から解放され、ε-(´∀`*)ホッと一息。
次年度に向けてのテキスト・カリキュラムの発展と充実に向けて、時間を使える時期である。

これが中学や高校入試などでは、「追い込み」と称して、試験直前まで
ハチマキでもして(さすがに古いか)、特訓特訓、入試会場前では生徒にエール!!
というような光景がありがちなのか、そのイメージで上記のねぎらいの発言となるのであろう。

しかしながら、少なくともGHS生に関しては、早く手を離れて、
やりたいこと、やるべきことが「独学可能」な状態にすることこそ目標である。
医学部入試はどこでももはや、「追い込み」とやらで詰め込んでなんとかなる量やレベルではない。
だから、12月いっぱいまでに必要なことは教え終えるカリキュラムになっている。
また、医学部入試はどこでも、時間との闘いでもある。
1問をじっくりと時間を掛けて解くような試験ではない。時間内にできるかできないか
分からないくらいの問題をやりこなす必要がある。
これは、教える次元の問題ではなく、自学修練をなすしかない。
今年のあるGHS生は、年末から年始にかけて、順天大医学部受験のために、
10年分の過去問を全部解いて臨んだという。
1年前は、1年分の問題を解くことさえできなかった、本半では手も足も出なかった人間が、
GHSの1年でここまで成長する。「あとは自分でやるだけ・・・」

本ブログ [106] に書いた、Eさんの勉強ぶりもそんな様だったのだろう。
塾や予備校は、いつまでも通うものではない。優秀なやつ、できるやつほど、
早く手が離れる。独立する。GHS卒生の中には、たしかに1年では合格は叶わなかったが、
そのあとほぼ宅浪状態で独学し、次の年に医学部に合格して報告に来るパターンが少なからずある。
どうやればよいのか、何をどうまなべばよいのか、それがわかったら、
あとは自分が納得いくまで、時間の壁を破れるまで、自学修練するだけである。

……だから、今は1年でもっとも「暇」。自由な思索と創造の時間に充て、果報を待つ。
posted by Koujin Amano at 21:18| カリキュラム

2017年12月30日

[109] アミノ酸カスケード+の話

今年最後の授業は...
 [107] に「アミノ酸カスケード」という話というタイトルがあるが、
よくみると、今回はカスケードの横に「+プラス」がついてる!!
「たけちゃんマン」の続編が「たけちゃんマン7」だったのを
思い出した人も稀にはいることだろう。

GHSでは12/22金が私にとっては年内最後の正規授業であったのだが、
翌23日に、駒込の医師会館で本業の方の「検死研修会」に参加した。
行政解剖組織がない地方にとっては警察の検視と医師の検視も
大切な業務の一つなのである。一時期、法医学教室に身を置いていたので
私にとっては何の抵抗も違和感もないので「復習」のようなモノであったが・・・。

その研修のあと新宿に移動して、時間がとれそうだったので、
体系化学3の補講を〆として追加した次第。
テーマは、体系化学アドバンス・カリキュラムの最後編テーマ、
「高分子の世界に届く」の ‘ アミノ酸配列 'の問題である。
当日、倫理政経の補講があったこともあり、
生徒が自習室にも居残っていて、臨時招集をかけると、
いつもは5人のクラスが、我も我もと十数人にも膨らんだ。
もっともここまでくると皆、体系化学テキストはもちろん、
アドバンスも学んででいるから、何をやっても話が通じるわけだから、
楽しくも頼もしい面子がそろったわけだ。

カスケード+の理由
 前々回に紹介したように、有機化学テキストver.4に収載した
「アミノ酸カスケード」は、いわば「常連のアミノ酸」の8個を
まずはしっかりと覚える図式である。この8つと基本構造の式量74g/molについて
暗記法コンテストを経て、拡張する土台はできている。

実際に、2011〜2016のデータベースから私立・国立の入試問題の標準以上の問題に限定し、
10題ほど集めたものを演習・解説した。
このレベルになると、8個のアミノ酸の構造式を知っているのはあたりまえ、
その上で、ヒント付きで出題はされているが、さらにアミノ酸+6個程の構造式について
予め知識があった方が見通しよく解けることがわかった。
そこで追加したのが、Val,Leu,Ile,Lys,Asn,Glnである。
これをアミノ酸カスケードを基礎枠として、拡張工事を行ったわけである。
その結果、アミノ酸カスケード+は、二次元から、三次元の構図となり、
数学で見慣れた空間座標にならって配置するとよいことが分かった。

さすがに、この場でぽつんと公開する気はないが、体系化学読者諸氏も
自分なりに想像しておいてほしい。
来年度は、体系化学アドバンス(2)をテキスト化し、例によって電子ブックとして
公開することになるだろうから、その時まで、しばし、Tranquilo!!

posted by Koujin Amano at 09:29| 体系化学

2017年11月29日

[108] ' 高分子系統樹 'ということ

センター試験、異変!?
 12月が迫り、二学期丸々使った有機高分子の講義が修了を
迎えようとしている。油脂、炭水化物、蛋白質、ゴム、
そして人工的高分子へと各項目に十分なる時間をかけて進んできた。
GHS生たちも、急ぎ足ではない高分子の授業をはじめて体験したことだろう。

昨年から特に注力しているのが、「人工的高分子」である。
ご存知のように、センター試験化学もまた難化がはじまっている。
有機化学に絞っていうと、人工的高分子の出し方がハンパない !!
ナイロン66とかPETとかの定番ではもう済まされない。
ビニル系、とくにアクリル酸系のメタクリル酸、アクリル酸メチル、
アクリロニトリル、そしてアクリル酸メチルとパッと見が同じの、
酢酸ビニル等々・・・・・・が、選択肢に堂々と登場する。

もちろん、難化上等!!、「高分子の世界に届く」授業を展開してきた
GHS生にとっては、他に差をつける好機でしかない!!

有機高分子系統樹
 有機高分子の項は、どの教科書も、どの参考書も、
たくさんの高分子が列挙され、フルカラーで用途が示されている。
で・・・それはどう学べばよいのか?という問題には答えていない。
つまり、高分子はいっぱいありすぎて、頭の中で収拾がつかないものである。

体系化学アドバンス(1) (ないし『医大受験』誌)で説いた、
「電池の歴史・系統樹」を参照していただくと話はさらに早いが、
このような人工物の技術の歴史には、時系列の系統樹的把握が有効である。

というのも、電池も人工的高分子も、人間が作りあげてきたものだからであり、
一つの発明・技術が登場すると、次にはその欠点を克服したり、
その長所を拡張した発明・技術が登場し、その連鎖が歴史をつくる。
もっとも、現実の歴史には、偶然と紆余曲折がつきものだから、
それを論理的歴史として捉え返す必要があるが、そのフイルターを通せば、
高分子の歴史もまた、電池の歴史と同様に、ストーリー性が見出せるものである。

この際、留意すべきは、「機能分類をしないこと」である。
人工的高分子というものは人間が意図した通りの機能になるとは限らない。
シルクを目指してストッキングになったナイロン然り。
また、人間社会の変化によって用途が規定される。
映画のフィルムやセル画ベースが、デジタル化によりピンポン玉や小銃火薬へと
用途が限定され住み場所をみつけたニトロセルロースのように、である。

したがって、「このポリマーは、︎■,︎■,︎■,・・・等々の用途に使われる」のような
列挙的説明は、受験生にとって迷惑千万、有害無益である。
教育メソッドとして必要な視点は「歴史的・構造的分類」であると思う。

まずは自然的有機高分子から人類が何を学んだか?」から始まり、
そこから高分子化に至る構造を抽出することになる。
その高分子化構造体を既存の有機反応をふまえてmodifyし、
次から次へと新たな高分子を生み出していく歴史が続く。

その中でも、系統的把握がもっとも有効なのが、天然ゴムから学んだ、
ビニル・ファミリーである。
とはいえ、注意すべきは、名称は必ずしも系統的ではないことである。
各々の開発者が気の向くままに命名するものだから系統性は隠れてしまいがちだ。

だが、生物の系統樹にくらべれば扱いやすい。
そこには人間の意図はないから、生物系統樹の枝葉はどこまでも分岐していくもの。
そして生物学的にはどの枝も研究者にとっては「等価」のようである。
アメンボだって、オケラだってみんなみんな生きているんだ、研究対象なんだ!!…と。
しかし、高分子系統樹には人間の意図が絡む
アドバンス化学で公開している「電池の歴史」と同様に、
前者の欠点を克服する意図をもって次の世代へと進む。
その流れをみればよい。

高分子の学びは、羅列でも横並びでもなく、系統的に!!
次年度用に製作する有機化学テキストver.5では
その部分を追加掲載することになる予定である。
posted by Koujin Amano at 17:33| カリキュラム