2018年02月24日

[114] センター試験 大きな弧を描きて

昨今のセンター試験の、つまりは・・・
 前回、共通一次試験からの流れを概説しておいたが、
その結論は、理系の理科に関しては、
     「センター試験用の勉強は不要なり」
という逆説的なものであった。
その理由を物理を例に、端的に述べれば、
センター試験のための範囲制限 (かつての物理Iなど)がなくなり、
出題範囲は「物理全体」となったこと。
マーク式と記述式の違いがあるだけで、「やや難+標準+易」とりまぜた、
バランスセットとなっていること。
したがってこのままマーク式の私立医学部の入試とならべても遜色ないこと。

かつては、平均点を揃えるために「センター試験らしい問題」と揶揄された、
「文系にも解けるように」と配慮した問題作りが姿を消した。
文系と線引きしたことにより、遠慮なき「ふつうの理系の物理の問題」となった。
しかも、選択式であるから、キチンと答えがでるように、数学的にも、使用文字にも
配慮がしてあるので、むしろ、適切な演習問題素材となっている。

これはすなわち、まともに物理を学んで、記述式の答案をつくれる実力を涵養することを
第一義とすればよいということで、センターだの私大だの、二次だのいわなくても、
物理全体をまともにやればよい、という環境になってきたのである。

こういう話をすると、共通一次より前の世代の方なら、あれ?と思う起こすかもしれない。
一次試験がマーク式で、理系は、物理や化学は全範囲、社会も選択する必要がある・・・

大きな弧を描きて
なんだ、これは、共通一次試験導入の前に、東大が独自でやっていたのと同じじゃないか?
・・・私も知らないかつてだが、東大入試にはその昔、選択式主体の一次試験があり、
センター試験と同様に、理系でも国語や社会も選択必須、理科二科目は全範囲、
それを突破すると、二次試験が受けられる、という独自の2段階選抜であった。
現時点から、30数年前を見遥かしてみれば、なんのことはない、
センター試験は大きな弧を描いて、かつての東大2段階選抜入試スタイルへと回帰したのだ。
もちろん、数学や理科には、文系・理系での区別がなされていた。

そもそも「共通一次試験」の「共通」たる所以は、
「文系理系を問わず高卒程度として共通の・・・」という点にあったから、
理科科目は、全範囲にするわけには行かず、そのため全体を共通試験用に分割して、
たとえば化学IとIIとし、文理の共通部分をつくったのである。
(ならば世界史や日本史も分割してもよかったが、歴史だけにさすがに分割できず、
こちらの対応は今に至るまでない。理系は「基礎日本史」とか「基礎歴史」にして、
中学歴史+αのような科目にすれば、理系の学力の底上げもできようかと・・・。
今ようやく、わずならがらそういう動きもあるようだが・・・・。)

文系・理系の区別なく共通の試験をという大義が、試験制度をぐらつかせてきたと言えよう。
「文系でも化学や物理で点が取れるように、問題をセンター試験らしく(易しく)する」
それでもだめならと、「IとIIの線引きを変えて、センター試験の範囲を絞り内容を希薄にする」
・・・これらは「ゆとり」という隠れ蓑の下で、正当化されてきた結果、
一時は、化学の計算問題がほとんどつくれないような所まで骨抜き状態の苦しい(貧しい)出題内容だった。
これは逆からいうと、理系が理系として試されていないという意味で「悪平等」といえる。
「共通」の意味を履き違えた結果の不平等であることに気づくのにどれほどかかったか。

遅きに失したかもしれないが、とにかく「ゆとり」の時代からの掌返しの反省期に入り、
少なくとも、理科科目は、理系にとっては手応えのある、実力勝負の出題となった。
文系のことなど考えなくて良いから、私立医学部でも採用したくなるような
難易度と範囲の試験となった。だから今は、センター試験利用で医学部に入れる定員枠が
各私立大学にある。国立志望者でこのルートから私立医学部に入ったGHS卒生も少なからず。
各大学がオリジナル問題を作成・採点する労力と人材の不足から、
やがては私立医学部を中心に、「国立・私立共通試験」となるやもしれない様相である。
文科省も(林くんも) 新たな「共通」の意味を見つけたり、でいいのではないか。

自分らの受験時代は、心のどこかで「センター試験用の理科や数学」といった色眼鏡をかけ、
それなりの対策をする、ということに時間を割いたものであるが、今は昔、
理科科目が先駆けとなって、そのうち、センター数学に数IIIまで出る本格的な「理系数学」が
登場するのではないか。それでいいではないか。理系なのだから、「ゲタ」はいらない。
逆に、英語はセンター試験から外していいだろう。
英語という語学と、英語という科目は違う。
今のような語学レベルの英語の試験なら、民間資格試験で十分代用できる。

もっとも、国語は文理共通でよい。「共通」という概念を貫くべきはここしかない
それで十分ではないか。理系用の国語などつくって甘やかしたら、
まちがいなく理系としてのレベルが下がる。国語につよい理系こそ本物である、
・・・という姿勢は(GHSを見倣って ⌒-⌒; )堅持すべきである。

そもそも、理科科目のように、文理で区別すべきところを「共通」としたことに
根本矛盾があり、30余年の紆余曲折を経て、ようやく「答え」に辿り着こうとしている。
その意味でも、化学も物理もセンター試験での高得点目指すことと、
GHSでの各科目のまっとうな学び、体系的な学びとがさらによくシンクロするはずだ。

私立医学部志望者も同じ学びでよい。センター用の物理化学もなければ、
私立医科学部用の物理化学もない、そんなバカげた「対策」商品が流通した受験界でも
ようやく浄化作用が働くのではないか。
posted by Koujin Amano at 14:56| 入試制度

2018年02月13日

[113] センター試験 難化(上等)×2 共通一次世代へ

 今回は、受験生というよりはその親御さん、
つまりは50代、かつての共通一次試験世代の方々に、
現今のセンター試験の消息をお伝えする形で、今年のセンター試験を
振り返ってみたいと思う。

共通一次 事始め
 今を去ること30年以上前のこと、センター試験の前身である
共通一次試験を受けたのは昭和54年卒(1979)の世代から10年間である。
その初回を受けた「ランドマーク」でいうと、林芳正・現 文部科学大臣、その人である。
彼は共通一次初年度の受験生なのである。なんでそんなことを知っているかといえば、
林くんは私の出身校である山口県立下関西高校の「先輩」だからである。
本題からそれるが、林くんは極めて優秀で、現役で東大文一に合格。
「共通一次の数学なんて、200点当たり前でしょ」と‘公約’していた、と。

 それはさておき、諸々の批判渦巻いた共通一次試験の創成期に受験生であった
親世代は、子供たちが受験期となっている頃である。
今のセンター試験のあり方、特に昨今のセンター試験の変化は、
かつての共通一次のイメージとダブる点とまったく異なる点が混在する。
我が子を取り巻く受験環境を正しく理解してあげる一助になれば幸いである。

センター試験は「適性試験なり」
 もっとも、試験全体に触れるのは荷が重いので、理系、医学部受験生にとっての
今のセンター試験という点に絞って話をしたい。
 さて、平成2年から後は、「センター試験」と名称を変え、
日程や内容やルールを変えつつ、色々な批判をかわしつづけて今に至る。
 ちなみに、私は平成元年入学なので、最後の共通一次を受けたことになり、
前回書いたように、そこから5年ほどしてGHSにかかわることになるから、
共通一次から今のセンター試験までをほぼ絶え間なく見てきたわけである。

 実は、共通一次試験の当初は中々難しいというより、厳しい試験であった。
スタートは5教科7科目で1000点満点という形であった。
これは、文系も理系も、理科2科目、社会2科目を選択しなければならないという
今にして思えば ‘無謀’と思える スタートであった。
「難しい」というより「厳しい」と言ったのは、文系にとっては理科が、
理系にとっては社会が、相当な負担となっていて、
理社に注力すると、英国数が手薄になり点数が伸びず、またはその逆という、
如何ともし難いジレンマがあり、科目数×知識量=膨大であるため時間が足りず
    「全科目を揃えるのは至難の技」
なのであった。したがって800点=8割越え自体が難しく、
東大・京大では850点越えが目標。
医学部となれば900点=9割が目標であった。

 その後、「共通一次導入はかえって負担増である」との批判を受けて
理社を一科目に減らしてみたり、現代社会や理科Iとか基礎理科とかいう
寄せ集め的科目をつくってみたり、日程を複数化して試験機会を増やしてみたりと
様々に変更されてはきた。しかし、すでにお気づきのことと思うが、
    「国立医学部合格のためには9割が目標」
という一点は、実は昔も今も変わりがない。平均点や負担がどうのこうのというのは
全体統計の問題であって、国立医学部という狭き門を争うような高学力層にとってみれば、
センター試験の小手先の変更など関係ない!!、
どんな状況でも9割とれ!! ということなのである。
したがって、現今のセンター試験900点満点では、800点越えが
      医学部への第一扉
となっている。その意味に限れば、共通一次とセンター試験は、
よくできたシステムである、と言えると思う。
生徒には、90%の意味をこんなふうに説いている。
「人間はミスをするものだから、完全ということはありえない。
 医療でもミスは許されないが、0にはできない。
 だから、ミスが起きてもすぐに察知され、事前に修正できるような
 セーフティーネットが必要だ。医療は医師単独でやるのではなく、
 チーム医療である。だから、一割のミスなら周りに気付いてもらえて、
 ミスとして顕在化しないで済むもの。だが、2割もミスするようなら
 周りもカバーはできない。それが医学部は9割という意味だ。
 センター試験ごときで2割もミスするようなら、
 医師としての適性は怪しい!! ということなのだ。」と。
そういう意味で、センター試験が最低85%取れないようなら、
国立医学部は潔く諦めるべきだし、そもそも出願先が存在しないのだから。

センター試験の「難化」とは
 国語・英語・数学に文系理系の違いはないので、物理と化学について述べよう。
昨年のセンター試験後のブログで、「難化上等」といった意味の主眼は、
「ゆとり」と称する骨抜き教育時代の、スカスカの物理・化学の試験から、
ようやくまともな出題をするような時代に戻った、ということにあった。
学び方が問われる、ごまかしが効かない、まともな学力を身につけた者だけが
高得点を得るという意味で、「まとも」なのである。
つまり、物理も化学も勉強の質で差がつくようになってきたことを歓迎しての
「難化上等」ということであった。

 しかしながら、今年更に感じている物理・化学の「難化」は、
昔の共通一次時代と異なる点がある。
共通一次の時代は、理科は、「化学I」「化学II」というように分かれていて、
Iが共通一次の範囲、I,II合わせて2次試験の範囲という了解であった。
だから、当時文系であった私も、物理Iと化学Iの選択をした。
その後、センター試験へ、そしてゆとりの時代となり、Iの範囲が縮小され、
IIへと追いやられてしまい、ある予備校の化学の講師は
「範囲が狭すぎて、計算問題もつくれやしない。問題にすることろがない」
との嘆きも聞かれたほどに、スカスカの試験であった。
こんなレベルなら、学習メソッドなどはどうでもよくなる。
暗記でも詰め込みでも格好はつく。
・・・・・そんな時代の真っ只中ではあったが、そんな風潮に迎合することなく、
GHSでは教育メソッドの探求と創造をつづけていた。
『体系化学』は2008年に世に出したが、そこに至るまで、GHS内部では、
小手先の暗記ではない、本物の実力をつける教育を一貫してやっていた証左である。

今のセンター試験の厳しさ
 かつての物理I、化学Iを学び、共通一次試験を受けた親世代にとって、
今のセンター試験の物理・化学をみると「驚愕の事態」かもしれない。
というのは、まずもって理科は、実質、文系と理系に分かれている
これはまったく正しい方向である。
(だったら、理系向けに地理基礎とか日本史基礎をつくるべきだが・・・)

 問題は、理系の「化学」や「物理」である。
この試験範囲は、かつての物理I,IIとほぼ同じであり、要するに全範囲である。
理系用に理科試験をつくったので、全範囲となったのである。
だから、「一次試験」といいながら、「二次試験」と範囲は重なり、
かつ、中堅私立医学部の試験(もちろん全範囲)とほぼ遜色ないものになっている。
だからこそ、私立医学部では、センター利用の定員を設けることが可能なのだろうし、
むしろ、そういう要請からこのような試験になってきているともいえよう。

 なんのことはない、いまや少なくとも理科において「一次試験」はない
というのが結論である。
取捨選択することなく、全範囲を、記述式でもキチンと解けるくらいの力をもたないと、
センター試験も私立医学部も突破できない、という状況である。

・・・実際、GHS長野校は、個別指導がメインなので、センター試験の物理の
演習にもべったりと付き合っている。
各予備校からでている、センター模試問題集を揃えると20数回分の演習ができるが、
どれもこれも本格的で、よくできていて、楽しい問題ばかりである。
これって、「体系化学」「体系物理」テキストに準拠しているんじゃないの?と
冗談(≒皮肉)の一つも言いたくなる。
キチンと答えがでてしまえば、選べばよいので、正しいとわかる点は精神的に楽でよいが、
その背景には、キチンと立式して解くという修練を積んだ実力が必要で、
でないと正解にたどり着けないようにできている。
つまり、センター試験高得点のためには、かつてのようなセンター試験用の勉強は要らない
という逆説である。

まあ、最後に、ちょっとばかりの自慢だが、そんな難化したセンター試験ではあるが、
今年のGHS生の平均点は、物・化ともに80点越えであった!! 
時代がようやく、本物を求めるようになった、きっとそういうことなのだろう。 
posted by Koujin Amano at 23:12| 入試制度

2018年02月01日

[112] 今年の目標 は‘ 天野光信の ’卒業'

 化学、そして物理...それから
 私がGHSで化学を教えるようになった頃のこと。
当時私は医学部の5年生。といっても再入学だから30過ぎた頃か。
GHSが昼間部生をとる「予備校」となってから2-3年だったか、
我が東大武道系サークルの「顧問」(という肩書き)であった村田代表から、
部の方に打診があり、
「化学の講師はいるのだが、その補助として教えに来てくれる学生はいないだろうか」と。
全学のサークルなので四年生で卒業していくのだが、私は5年生でもつづけていたこともあり、
役職は「助監督」であり指導する立場にあった。部員は50〜60名はいたであろう。
部員たちが皆で話合った末の結論が「助監督を推薦します」!(◎_◎;)というもので、
当時の監督から「部員の総意」ということで私が派遣されることになったわけである。
「お前ら、これだけ東大生いるんだから、よりにもよってなんで忙しいオレの背中を押すんだ!!」
と苦笑いしたが、振り返ってみればそれがその後GHSに長くかかわるようになる端緒だった。
・・・・・・『体系化学』も『漢文解析』もそこから始まったのであるから、
当時の後輩たちの「英断」( ´ ▽ ` )ノ に今更ながらも、感謝するべきだろう。

私は医学部を卒業してもすぐに臨床にすすまず、大学院に進んだので
GHSはそのまま継続することとなったのだが、気がつくとメインだったその講師は去り、
私が化学のすべてを任される講師として教壇に立っていた。こちらは「生徒の総意」である。
(もっとも、正確にはGHSの教室はフラットなので「教壇」はない)
大学院生としての5年ほどの間は、体系化学への模索と実践がつづくのであるが、
物理への関わりが生まれる。それもまた、物理ができるはずの東大理学部の院生の講師が、
「物理がわからないものの気持ちがわからない」つまり、できるが教えることはできない、
という事態となり、やはりまた「生徒の総意」で、物理の個別的指導からはじまり、
やがて気がつけば、自然な成り行きで物理の授業をするようになっていた。

10余年後、体系化学、体系物理という形になっていく道はこうやって始まったのである。

 化学・物理...いや実は 
 このように、GHSで化学や物理にかかわるようになったのは、わたしにとっては状況の産物、
成り行きとしてこういう結果になったにすぎないといえる。
実のところ、わたしがもっとも好きで、得意で、得点源であったのは英語である。
すでに、京大の経済学部に入る時点で、受験英語レベルはかなり極めており、
やるものがなくなって、英語の講師のすすめで英検一級の問題集をやっていたくらいである。
だから、「やりたいのは英語」なのであるが、「やるべきなのは理科」なのだった。

そして世紀が改ままらんとする2000年、大学を離れ、さらに東京を離れ、信州の地で、
ようやく医師としてのキャリアをスタートすることとなった。
そう、これもいろいろな偶然の出会いと状況の産物で、長野行きとなった。
自分が選んだのではない。たまたま、そこでやってみないかというオファーがあっただけ。
だから「なぜ長野なの?」という質問をよくされるが、
 実際、長野には縁もゆかりも、親もツテもない。
下関、京都、東京と暮らして、次に長野になった、というにすぎない。

ただ、こうやってみるとGHSでの理科についても、住処にしても、
自分から手を挙げて選んだのではないくせに、その中で幸せを感じることができるのだから、
呑気というかお得な資質(たち)なのかもしれない。

ただ、長野に来てもいいと思った理由の一つは、大学生の時から夏合宿といえば、
ほぼ信州のどこか山の中での合宿であったから、親近感があったからとはいえる。
でも、そんなのは、どんな大学のサークルだって同じだ、といえばそうだ。

長野がよい、と思ったもう一つは、新幹線と高速道路が通じていたということが大きい。
長野オリンピックのおかげで、両者が長野とつながった。
つまり、GHSをつづける条件があったことだ。この時期になると、GHSでの時間は、
わたしにとっては代え難いものとなっており、ここで'卒業'する気などさらさらなかった。
もし、オファーが長野市ではなく、松本市であったなら、もしかしたら断ったかもしれない。

かくして、週末は長野から東京へと通うスタイルがそこから10年余にわたってつづくことになる。

今年の目標 は‘ 天野光信の ’卒業'というのは
 といっても、GHSからの卒業ではない。天野光信の'卒業'である。
2008年の『体系化学』の時には、文字通り孤独な行軍であった。
GHSの独創のメソッドゆえに、指導者レベルでは、誰もわかってもらえる人がいなかった。
そして、another decade……
村田代表のブログにも取り上げられたように、体系化学、物理の薫陶をうけたGHSの卒生が
各分野で活躍するだけでなく、GHSでも教えることをつづける人材が得られるようになった。
かつて、「化学は講師ごとに教え方、解き方が違うものだ」と嘯いた化学の講師がいたが、
GHSの化学も物理も、ほぼ技術化されているので、誰が教えようが、解き方は同じになる。
そこに、各人の個性とオーラを被せればよいだけだ。

昔どこかで、「天野の化学」というような言い方は、受験参考書にはつきものではあるが、
わたしは絶対にイヤだ、というようなことを書いたと思うが、化学や物理という知識を
法則を発見したわけでもない者が、自分の名前を冠するなどあってはならないということなのだが、
さらにいえば、わたしの手を離れたとしても、志ある者が十全に受け継いで行けるだけの
体系化と技術化を果たしたと思ったからである。

これらの意味を込めて、できるだけ化学も物理も、後進に任せたい、好きなようにやらせたい
と思っている。関わりは必要最小限でいい。「補助」でよいのだと思い定めている。

だって、かつて、GHSで好きなようにやらせてもらえたからこそ、
従来のあり方、すなわち、「常識」・「常道」・「定石」にとらわれることなく、
自由な創造ができたのである。
それを常に見守り、支えていただいた村田代表の懐の深さゆえである。

これが「天野光信の'卒業'宣言」の真意である。

’卒後の進路'は・・・
 「'卒業'したら、その後、何をするの?」と問いたい人もあることだろう。
・・・まあ、今回は長くなったので、それについては稿を改めて、ということにしたい。《続》

posted by Koujin Amano at 14:36| 体系化学