前々回、代ゼミ本校に通っていた頃の話をしたが、「有名」・「カリスマ」・「パフォーマンス」等の修飾語がつく講師が沢山いたものだ。その並みいるスター講師の中でも、最大の看板講師は「化学の大西」こと大西憲昇先生であったのは自他ともに認めるところであった。なにせ、駿台の東大クラスに通う生徒たちが、化学だけはわざわざ代ゼミの大西化学を受講しに来るのがあたりまえだったほどである。
夏期講習は、一番大きな教室があっというに締め切りになり、追加講座が次々に発表される。講習の講座数および追加講座数は、まさに予備校講師としての「勲章」であったのだ。
その大西化学にはいくつもの“秘密兵器”があったが、その最強のものは有機化学における「不飽和度の駆使」であったといってよいであろう。たしかに「不飽和度」自体は、大学レベルの有機化学ではどの教科書にも書かれてある知識にすぎないのであるが、それを受験の有機化学における最強の武器に仕立て、「難問」を一刀両断で解けるように指導されたことは大西先生の大きな功績の1つである。
しかしながら、年号が平成となって程なく大西先生急逝の報に接した。いつもエネルギッシュで、ホジィティブで、まだまだご活躍できるご年齢であったゆえに、その後の化学教育界が失ったものははかりしれない。
私自身は、代ゼミの東大理系クラスにおいて、大西先生の最盛期ともいえる時期に、丸々一年間、レギュラー授業として理論化学90分×4コマ、有機化学として2コマ、夏期・冬期の講習とあわせてすべての講義に出席し、テープに録音したものをあとで聞き返しながら復習し、作り上げた講義ノートは、理論化学7冊、有機化学7冊、計14冊にのぼった。・・・何かの機会にお目にかけることもあるかもしれないが、文系から理系への転換において、化学を高いレベルで、完全に教わった経験は何もにも替え難い「宝」となった。それをバネに数学、物理と克服していくことで理3への道が拓けたのだから。
そして,時は巡り、ある経緯でGHSで化学を教える身となった。おそらくそれがなければ、14冊の講義ノート達は、書斎にひっそりと置かれて時を過ごすはずであったろう。
GHSで有機化学を講義する流れの中で、改めて「不飽和度」の威力を再認識することとなり、『体系化学』の続編としての有機化学テキストを編むうちに、これを受験界に普及させ、生徒の学力を高めることが、大西先生の魂を継承し、その無念を昇華させる道であると思い定めたことである。
来年二月に発売予定の『医大受験』vol.14からは、いよいよ「有機化学」の連載開始となる。もちろん、その主目的は、「秘密兵器」たる不飽和度の本当の姿を描き出すことにある。なんとなれば、あれから20数年、大西先生の教えを受けた受験生達は、各方面で第一線で活躍している年齢に達しているが、未だに「不飽和度」の内実とその斬れ味とを著したものが出てこないからである。ならば、偶然の積み重ねながらも、それをなしうる立場にある、自称 ‘大西化学の一番弟子’ たる私が成さねばならぬのであろう。
もっとも、私とて多忙の身であるから、『体系化学』の続編として書を編むのは物理的に困難である。だが、「困難は分割せよ」といったのはデカルトだったか、幸いにして『医大受験』の連載という場が与えられている。じっくりと腰を据えてこの目的を確実に果たして行く所存である。