2014年12月14日

[75] 受験有機化学と「不飽和度」

 前々回、代ゼミ本校に通っていた頃の話をしたが、「有名」・「カリスマ」・「パフォーマンス」等の修飾語がつく講師が沢山いたものだ。その並みいるスター講師の中でも、最大の看板講師は「化学の大西」こと大西憲昇先生であったのは自他ともに認めるところであった。なにせ、駿台の東大クラスに通う生徒たちが、化学だけはわざわざ代ゼミの大西化学を受講しに来るのがあたりまえだったほどである。
 夏期講習は、一番大きな教室があっというに締め切りになり、追加講座が次々に発表される。講習の講座数および追加講座数は、まさに予備校講師としての「勲章」であったのだ。
 その大西化学にはいくつもの“秘密兵器”があったが、その最強のものは有機化学における「不飽和度の駆使」であったといってよいであろう。たしかに「不飽和度」自体は、大学レベルの有機化学ではどの教科書にも書かれてある知識にすぎないのであるが、それを受験の有機化学における最強の武器に仕立て、「難問」を一刀両断で解けるように指導されたことは大西先生の大きな功績の1つである。
 しかしながら、年号が平成となって程なく大西先生急逝の報に接した。いつもエネルギッシュで、ホジィティブで、まだまだご活躍できるご年齢であったゆえに、その後の化学教育界が失ったものははかりしれない。
 私自身は、代ゼミの東大理系クラスにおいて、大西先生の最盛期ともいえる時期に、丸々一年間、レギュラー授業として理論化学90分×4コマ、有機化学として2コマ、夏期・冬期の講習とあわせてすべての講義に出席し、テープに録音したものをあとで聞き返しながら復習し、作り上げた講義ノートは、理論化学7冊、有機化学7冊、計14冊にのぼった。・・・何かの機会にお目にかけることもあるかもしれないが、文系から理系への転換において、化学を高いレベルで、完全に教わった経験は何もにも替え難い「宝」となった。それをバネに数学、物理と克服していくことで理3への道が拓けたのだから。 

 そして,時は巡り、ある経緯でGHSで化学を教える身となった。おそらくそれがなければ、14冊の講義ノート達は、書斎にひっそりと置かれて時を過ごすはずであったろう。
 GHSで有機化学を講義する流れの中で、改めて「不飽和度」の威力を再認識することとなり、『体系化学』の続編としての有機化学テキストを編むうちに、これを受験界に普及させ、生徒の学力を高めることが、大西先生の魂を継承し、その無念を昇華させる道であると思い定めたことである。

 来年二月に発売予定の『医大受験』vol.14からは、いよいよ「有機化学」の連載開始となる。もちろん、その主目的は、「秘密兵器」たる不飽和度の本当の姿を描き出すことにある。なんとなれば、あれから20数年、大西先生の教えを受けた受験生達は、各方面で第一線で活躍している年齢に達しているが、未だに「不飽和度」の内実とその斬れ味とを著したものが出てこないからである。ならば、偶然の積み重ねながらも、それをなしうる立場にある、自称 ‘大西化学の一番弟子’ たる私が成さねばならぬのであろう。
 もっとも、私とて多忙の身であるから、『体系化学』の続編として書を編むのは物理的に困難である。だが、「困難は分割せよ」といったのはデカルトだったか、幸いにして『医大受験』の連載という場が与えられている。じっくりと腰を据えてこの目的を確実に果たして行く所存である。
posted by Koujin Amano at 12:57| 『医大受験』

2014年11月20日

[74] 冬来たりなば……

 この冬もまた...
 11月になってのこの時期、各地の病院、医院では、インフルエンザの予防接種の業務が増える。
そんな中、外来には、18歳と母親という組み合わせのインフル注射希望者が続けてきたりして、「受験生ですか?」とたずねると、「はい、家族全員やります!!!」と気合いが入っている。
そんなこんなで、たまには少し本業のことも書いておこうかと思った次第......
 私の勤務する病院は、信州の小都市の地域中核病院である。二次救急も受け入れているが、それ以外の地域密着の医療業務も多岐にわたる。製造・食品業を主に中規模の工場も多いので、産業医、企業検診もやるし、近くに警察署があり検死立ち会いの依頼もある。院内には健診センターもあり、外来、病棟、訪問診療など、内科ドクター同士互いに協力し合いながらの日々の業務をこなしている。
 そんな一環で、11月からは、ナース二人と医師と事務の四人でチームを組み、周辺の企業に訪問出張インフル注射に出向く期間がスタートした。私も明確な予定のない午後に、数回ばかり出動要請が来た。
 昨日で私の割り当ては終了したのだが、接種した人数は600人超となり、最多記録である。どうやら外来師長が「アマノセンセイはかなり早撃ち」とのウワサを聞きつけ、大口顧客を私の方に充てたようである。まあ、校医さんなら1つの中学校全員を独りでやるわけだから、そんなに大仰な数字ではないのだが、外来ではぽつぽつとくる接種希望者も、工場なら、仕事の合間に厚生担当者がみごとに仕切って、切れ目なくずーっと来るようにしてくれるから、100人位なら、一時間もかからずに終わることができたりする。
 特に感謝されたのは、介護施設の職員である。病院や介護施設の職員は、インフル接種は「義務」である。もし、自分がインフルエンザに罹患して、休めばシフトが大変になるばかりではない。患者・入所者にうつしてしまったら大騒ぎになる。高齢者の場合は命に関わる。かといって、忙しい業務の合間に、接種にいくのも困難・・・・ということで、「来てもらって本当に助かります」というのは本音だろう。
 もちろん、工場だって、インフルエンザが蔓延すれば、製造ラインに影響がでる。全員受けるのが理想だが、休日に行けと強制するわけにもいかない。だけれど、接種チームが来てしまうと、「それなら・・・」という人はざらにいる。しかも、いままで逃げ回っていた人も自然に?列に加わることになる。病院にとっても、企業にとっても、地域にとってもプラスがありこういうのをWin&Winの関係というのだろう。

GHSもインフル週間
 先週と今週、GHSでも恒例のインフル接種の機会を作った。まぁ、少し足を伸ばした(?)にすぎない。総数が少人数であるから、段取りさえできていれば、一回十数人だから休み時間にちょちょいと可能である。しかも、そのあと授業であるから、万が一の体調の変化などにも互いに安心である。いうまでもなく、予備校生にとっては、この時期にインフルエンザにかかって寝込んだりしたら致命的≠ナある。
 たしかに、インフル接種をしても完全には防げはしないので、これを否定的にみたり、それを言い訳に注射のチクリから逃げる人がいるが、仮になったとしてもカゼのような軽症で済むことがほとんどである。実際、カゼかなと思って外来にきて、季節がら念のためにインフル検査すると陽性となるパターンは多いし、逆に、40℃の熱がでてインフル陽性となった場合は、たいてい予防接種はしていない・・・これは臨床上の確実な経験値である。
 まして、同じ教室でおなじ空気に触れるのであるから、他人にも迷惑をかけないという意味でも、なるべく全員接種するのが必要なことは同じである。子ども、高齢者、受験生……すべてに共通なのは、免疫力が弱いこと、インフルエンザにかかるとコワいということ、せっかくのこれまでの努力を水泡に帰さないための、GHSとしては当然の教育サービスの一環である。

『医大受験』vol.13発売
 そうこうしているうちに、『医大受験』秋号の発売となった。今回の私的 ‘目玉’ は、学習ページ初のカラーページである。製本の都合から位置的にはp.20-21の見開きとなっているが、化学アドバンスの「電池の歴史再考」のトリを飾るに相応しい仕上がりとなっている。実際にボルタの生地を訪問した読者倶楽部一般会員から提供されたものである。本稿の内容とあわせて、ボルタの偉業に触れる一助になれば幸いである。
 さて、次回からは、いよいよ、体系化学・有機化学篇の連載開始となる。『体系化学』から6年を経て、テキスト化を年々歳々重ねてきた内容を順次・適宜公開していくつもりである。
その ‘目玉’ は、まちがいなく「不飽和度の駆使」であり、化学アドバンスの続きとして相応しいレベルを心がけたいと思う。
posted by Koujin Amano at 17:33 | TrackBack(0) | 『医大受験』

2014年10月24日

[73] 体系化学・改訂 予想図

 2016年改訂宣言!?
『体系化学』がでたのが、ちょうど2008年であった。なにがちょうどかというと、オリンピックイヤー、北京オリンピックが開催された年であり、そして2012年のロンドン開催のときは、改訂など視野にもなかったものである。
そもそも、化学の体系をどうこうする必要も一寸もなかったし、有機化学や体系物理のテキストを完成すること、『医大受験』連載のベースとなっている化学アドバンスの講義とデータ化に注力していた。
 そして、2016年リオ五輪か〜そろそろ改訂しようかな、と思い定めるのにちょうどよい頃合となった気がする。そのいくつかの糸をたどってみよう。
 とりあえず、もっとも軽い理由は、当初から気にはなっていたフォントの問題である。
たとえば、昨今は体積の単位を「L」と表記するようになってきて授業や連載ではそれに合わせているが、『体系化学』第二版までにはその置換は間に合わずそのままになっている。そのために改訂するわけではないが、改訂するなら単位表記などの見直しをしたい、ということである。

 当時は、IT環境がシロウト用にも整ってきていて,特にMac Word 2004によって数式の入力や挿画を含めてテキストを思い通りにつくれるようになったことが大きかった。だから最初から最後まで独りで書き上げた(図や数式も含めて)のであるが、その後の『漢文解析』や『医大受験』の連載などの編集、校正などを通してみると、2008年のスタイルをリフォームしたくなってきたのである。
 もちろん、今度は独りではない。内容を十分に理解できる校正者もいなかった初版の時にくらべれば、『体系化学』に開眼したGHS卒生は幾らもいるし、読者倶楽部からもアシストの申し出てくれる会員もいるわけだし、また、『英文解釈(3)』『漢文解析』や『医大受験』を作り出したことで、育文社の編集力も充実してきている。あの頃は育文社から本を出すこと自体がチャレンジであったが、今は当たり前のことになった。そんな諸力を合わせてよい仕事ができそうに思うのである。


 脱・再入門テキスト
 『体系化学』が形にできたのは、まずもってGHSという学び舎があったからであり、1993年の開校以来、ここに集いしGHS生のおかげである。
 そのGHS生とは「まえがき」に記した通りに,‘どうしようもない理系’であり、‘箸にも棒にもかからない浪人生’である。だけれども、実に素直で、夢だけは大きい。高校化学を学び損ない、底辺でウゴメイている彼らを救い出すには、そのギャップをますば埋めることが必要だったわけであり、それさえ果たせばあとは自力と馬力で奇跡的な伸びを実現してくれたのである。
 だから、「再入門テキスト」なのだが、いくつか予想外のことがあった。一つには、読者倶楽部や育文社にお便りをくれる合格者たちは、そんなGHS生よりもずっと学資力のレベルが高く、東大・京大などの難関校や国立医学部志望者の方が多いのである。『思考訓練の場』シリーズというブランドのなせる業かとも思うが、もちろん、GHSからも東大や医学部には受かっているからフシギはない。ただ、本心としては、もっと普通の、化学が苦手な受験生からの反響を予想していたものだった。

 前回、代ゼミの話を書いたが、我々が受験生だった頃は、予備校に行くのが当たり前、予備校でこそ本当の学力がつくし、予備校講師に教わることが憧れでもあり、一種の流行であった。そういう意味で、浪人しなくても入れる大学も多々あったが、とりあえず浪人して少しでもよいところを・・・・と予備校に集ったのである。
 ところが、少子化と大学総定員不変の法則(?)とが相俟って、そこそこの大学に浪人せずに入ることの方がふつうになりつつある。なるべく浪人せずに大学に入り、その資金を資格や語学留学等に振り向けるスタイルもありだ。つまり、狭き門に入るのに競争し、そのために高校課程の履修を高いレベルで完遂するための受験勉強から、とりあえず大学に入って、身になる資格を目指す方へと大きくシフトしている。

 すると、わざわざ浪人するのは、あいかわらず狭き門である医学部志望者くらいのものである。医学部の定員は、施設とか財源とか色々な制約があり、そう簡単に増やせないものである。新設の医学部を一つつくるのに(東北医薬大)スッタモンダしているくわけで、当面、医学部の総定員は私立・公立全部あわせても、東大+京大の定員ほどにしかならない状態は続く。医学部はどんどん狭き門となこと必至である。
 まあ今後、東大なども反省して、定員を半分くらいにザックリと絞れば‘難関’ブランドを維持できるであろうが、競争試験である以上、上位志望者が国立医学部に流れれば、東大生の学力の地盤沈下(えー、あいつが東大?というヤツが入ってしまうということ)は避けられない。それでいいのか?ということである。
 それはともかく、「志ありて我、浪人す」という受験生の群像を見据える時代になってきたということである。それは、今年春のこのブログでも触れた通りである。
 ならば、少人数性の予備校として、無謀ともいえる夢を叶えて来たGHSとしては、そういう若者に対して発信していくわけであり、『体系化学』もその方向に舵を切るということである。
 したがって、“再入門テキスト”という基本コンセプトは維持しつつも、そこから高いレベルで競う彼らに、学びの王道を提示することが改訂の骨子となる。


『医大受験』vol.13
 来月半ばには発売となる『医大受験』秋号の原稿も校正が終了した。そんな中で、「体系化学・アドバンス演習篇」は今回で終了となる。といっても、実質的には第一部完結、ということで、次回から、「有機化学篇」のスタートとなる。
「完結した」ということは、臨時増刊Mookとして1冊にまとめて出してよい、ということである。(育文社、山田社長からはそういうお話をすでにいただいている)
ならば、『体系化学』・改訂版は、どこぞの参考書のように、改訂のたびにいたずらに(?)ページ数を増やすことはやめて、これとの連動・連絡を意識しての編集とすればよい。
 それは、『体系化学』二版まででは、十分に語ることができなかった有機化学についても同様である。これから連載という形で公開されていくのであるから、現版では含みをもたせるだけにとどまった有機化学的内容へも連結が可能となる。もちろん、それはGHS内の授業ではあたりまえになされていることだから、現実的な本来の姿をよりリアルに伝えるということだけなのだが。

そんなこんなで、色々思い描くのを楽しんでいるところ、未だ手つかずである。とりあえずは、専用のデスクトップパソコンを買おう。Mac Office 2011のみで、ワープロ専用、余計な機能無しというのを探しているところである。
posted by Koujin Amano at 14:55 | TrackBack(0) | 体系化学

2014年09月06日

[72] 例の代ゼミの話

代ゼミに通った頃
前回の続きの予定であったが、あちこちで騒がれている代ゼミの話をちょっとしておこう。
というのも、私は昭和から平成へと移る頃、代ゼミがもっともにぎやかで、
講師が最も充実していたときに、そこを恃んで京都からあえて出てきて、東大再受験を期したからである。
「どうせなら東京で最高の授業を受けたい、それでだめならあきらめられるじゃないか」
という思いと裏腹に、「指導者さえよければ自分はできるはず」という自負とがあった。
諸処で書いたように、そこで大西化学にで会えたから化学が得意になったし、
もともと文系で化学は高校ではろくに教わっていない自分が、やがて教える側に立てる
土台をもてたのである。しかも、特待生(=タダで!!)として東大理系クラスに
入れて最強の講師陣の授業を受けさせてくれた代ゼミには感謝の念しかない。
「日本ってなんて平等な国なんだ」
「お金がなくても努力すればこんなすばらしい授業を受けられる!」
日々是思っていたことである。

少子化だけではない
今回の20校閉鎖のニュースは私にとっては必ずしも驚きでもない。
そもそも当時の代ゼミは大都市にしかなく、今回残すことになったくらいの数だった。
私としてはいつ27校にも膨れ上がっていたのか、そんなものが維持できるわけがない、
要するにもとの規模にもどっただけではないか、という思いの方が強い。

生徒を集客できる講師が、地方でそんなに揃えられるわけがないではないか。
それは、地方の私立一貫校の名ばかりの「特進クラス」と同じ有様である。
当時の名物講師は、代々木から仙台へ、そして札幌へとその拠点を飛び回っていた。
なぜかといえば、大教室を満杯にできる名物講師なんてそうザラにいるものではないからだ。
当時は身一つで飛び回るしかなかった。今のようにライブをカンタンに中継できるIT環境はなかった。
すると、どんなに飛び回っても、西と東とに別れて分業しても、全国で七校くらいが限界であった。
それ以上に拡張しようとすれば、とうぜんに講師は足りなくなる。
講義のレベルは下がる。生徒は集まらない。受験生というものは、高校では叶えられない「夢」を
叶えるために予備校にくるのであるから、「大差がない」なら行かない。

その後、看板講師たちはヘッドハンティングの果てに分散していたったし、
残った名物講師も年齢を重ねていったが、必ずしもその代替わりは果たされていないようである。
おそらく現状では、各教科の講師の粒を揃えることができるのは、代々木の本校の一部のクラスと
あとは・・・というくらいかではないだろうか。

講師の人材供給元
当時の優秀な講師の人材供給を担った明らかな一つの要因は、「学生運動」であった。
私より一回り上の世代では、政治意識が高く、優秀な者ほど学生運動にかかわり、結果、
エリートコースから外れた者が沢山いた。本当は東大教授になれたほど器が、
仕方なく予備校の講師となり、その陰でノンポリといわれた者が大学でポストを得たり
したような時代であった。だから、予備校の講師は「尊敬された」のである。
ホントに優秀で、アカデミックな雰囲気を漂わせ、物事よく知っている講師の授業は、
受験生に知的な満足を与え、大学講師達よりも予備校の方が勉強になったという時代だったのである。
予備校の講師は高額収入だけでなく、生徒に「師」と尊敬されるゆえに、憧れの職業とさえ映った。
 少子化ばかりが言われるが、そういう人材が予備校業界に供給されなくなったことも要因である。
エリートはふつうに予定の世界に進む時代となったゆえである。

それでも、当然に優秀な予備校教師は一定数はいるものである。だとすれば、●●スクールのように、
「教室という器をもち、講師が飛び回るという形態」を捨ててネットで配信する」方法は実に正しい。
平成になってから、代ゼミや河合塾のように資金力のある予備校は、次世代の配信システムとして
衛星を使った配信設備に投資した。しかし、衛星放送のテレビと同様に、今は時代の主役ではない。
それよりも安価で確実なインターネットが、それを高い買い物にしてしまった。

昔は、看板講師の授業を受けたければ、夏期に、地方から上京して本校に行くしかなかった。
大手予備校は大都市にあって、地方受験生の憧れでよいのかと思う。

かつては、旺文社の大学受験ラジオ講座を早起きして聞いたり、早稲田予備校の深夜の
テレビ講座を聞くしかなかった地方受験生の私にしてみれば、ネット配信は望ましい。
映像でかつオンデマンドでそこそこの値段で聞けるなら、ありがたいことではある。

ただ、私などは、生徒のいないスタジオで、カメラを前にしゃべることには向かない質なので、
(実は、その昔、●塾の小論文科にいたときサテライトでやらされたことがあるんですがね・・・・)
少人数のGHSでの双方向の授業環境を大切にしていきたいと思っている。

・・・・代ゼミは規模としては、よき時代に戻ったが、さて・・・。
posted by Koujin Amano at 19:22| 体系化学

2014年08月27日

[71] 体系化学の進み方

『体系化学』 改訂 !!……? 

 今年度の体系化学の授業は、有機化学もあわせて、GHS史上最速で進んでいる。
もちろん、ただ速いだけではなく、内容的には、『体系化学』をヨリ入試実戦に振った
アドバンス的な内容(『医大受験』連載・体系化学アドバンスを参照)を加えつつの、
ヨリ深みと広がりを増してなおの進度の早まりである。

どの予備校でも同じことではあるが、春に入って来た生徒には、入試まで1年間の時間はもはやない。
4月上旬に開講してから、センター試験ないし私立医学部入試開始の1月半ばまでは、数えてみれば
9ヶ月足らずである。1月以降は、生徒があちこちに入試に出向くため少人数予備校のGHSとしては、
「授業」の形がとれるのは実質年内であるのが実情だ。もっとも、早目に入塾を決めて、
早目に指導を受けはじめる生徒なら、約一ヶ月はプラスになるが、かといって「授業」としてのスタートが
できるわけではないから、授業期間は実質9ヶ月となる。

だから、たいていの予備校は、大手ほどに、すでに高校の内容を履修していることを前提に、
いきなり入試問題演習をはじめて、出題範囲をまんべんなくとりあげて、
この期間内に範囲を済ませることで、体裁をつくろってきた。これで、ついて来れる受験生はいい。
有名進学校から生徒を集めるとそういう授業でも成り立つのだが、GHSは昔から
そういう行き方をしなかったし、できなかった。それは『体系化学』が化学の再入門テキスト
であることからも察していただけるだろう。
すると、高校の知識も、基礎も、学力も大して期待できない生徒を前に授業をするならば、
少人数制であるだけに、いきなり入試問題ではついて来れない人材の存在にはすぐに気付く。
・・・・とすれば、高校で週四時間、二年間かけてやる化学全体を、この九ヶ月で、
いかに効率よく復習し、基礎を固め、底上げして、入試問題に取り組めるところまでもっていくか
が課題(=無理難題)となる。
その一つの帰結形態が、枝葉末節を切り落とし、定量化学として一本の筋を通す、という
『体系化学』へとつながっていったのである。

おかげで、この9ヶ月だけで入試に使えるレベルでの高校課程の再履修が可能になった。
しかし、道はこれで終わりではない。

なぜなら、一通り再履修を終えて、「わかった!!」と目を輝かせたところで、ワカッタだけでは、
入試で時間内に、問題が合格点レベルで解けるという状態には到達していないものである。
もちろん、それでも『体系化学』の学びは、合格者を輩出することに寄与することはできた。
しかし、やはりそれは、高校時代の遺産がある者、要領が良い者、寸暇を惜しまず超人的に取り組んだ者・・・
等々の、相当に個人的な資質に負うところもあったのは事実である。

それでよい、といえばよいのだろうが、カリキュラムの体系化の次なる目標として、
なるべく早く再履修を終えて、入試までの繰り返し修練により技化・定着を図る、という
課題(=無理難題)が浮上した。ここ数年のその取り組みが、『体系化学』につづく、
物理や有機化学の完全テキスト化と、カリキュラムの効率化と深化との両立ということであった。

すでに、二学期開始時点で、『体系化学』は、2nd Stageの内容の実質半分を消化するところまできている。
しかもそれは、1st Stageからアドバンスの内容を適宜上乗せしながら、である。
たった週一回、120分の授業で、である。もちろん、ご存知かもしれないが、GHSの化学と物理は、
夏期講習をやらない。一学期から夏期、二学期までの通年授業の形態をとらせてもらっている。
ちなみに、有機化学も、テキスト化の成果よろしく、すでに高分子の講義に入っている。

それは、とりもなおさず、『体系化学』改訂版ということになる・・・   《続》



posted by Koujin Amano at 16:05 | TrackBack(0) | カリキュラム

2014年07月15日

[70] 医大受験・夏号の予告

VOl.12は8月20日頃発売
『医大受験』夏号は、原稿校正の終盤にさしかかっている。
読者に向けて、例によって若干の前バラシ予告をしておこう。
なかでも特筆すべきことといえば、新連載の話である。
ここ数巻で、学習ページの科目もそろってきたが、そうしてみると、
必須受験科目なのに連載がないものは、唯一「物理」のみである。
・・・もっとも創刊当時には物理の連載があったのだが、担当予備校本体が
本誌からおりたので、連載もストップして、そのまま欠落状態となっている。

余談であるが、初期に連載された物理は、「原理から考える物理」という
大変結構なタイトルであったのだが、あるGHS生がこういった。
「一回分の連載数ページで、‘原理’が5つも6つもでるのはどういうことか。
原理というものは、‘化学計算原理’のように頂点に一つあるから原理なのではないか?」
まじめに体系化学を学んでいる者としてのもっともな意見である。

まあ、それはともかくとして、やはり編集の立場にある育文社としては、
なんとか物理の連載を入れて、数学、英語、理科、国語の全揃えを果たしたいのは
自然・当然であろう。それであちこちと打診・依頼はしていたようであるが、
中々yesとならず、二巡目?にまたGHSに話が戻ってきた。
もちろん、読者受験生もおわかりだろうが、化学2つと医薬エッセイと
(+漢文)を書いているのであるから、物理まで手を伸ばすのは時間的に到底無理だと、
一巡目に断った経緯がある。そちらにかまけてしまえば、GHSの方が疎かになりかねない。

・・・・といいつつも、今回「私立医大受験生のための 体系物理 入試実戦演習」
全9ページのスタートとなった。もっとも、仕事を増やして、また各方面から心配され
気遣われるのは避けたい(^_^;)ので、共作という形にして、問題選定と解答は
GHSの卒生の若き人材にまかせて、私は監修・補筆という位置である。
以前から、私の代わりに化学や物理をGHSで指導できるのはGHS卒生しかありえない、
ということで教育に関心をもつ人材を育成することをやってきていたのである。
ようやく「支援」から「介護」へと移行しつつあるというわけだ。
そのあたりの事情は、イントロに書いておいた。初回は、体系物理と連載のコンセプトの
記述もあったため、取り上げた入試問題は日医大の1題だけにとどまったが、
体系物理の行き方を示すことはできたと思う。
「他には類がないからこその連載!」というのが執筆あたっての信条である。
その「新しさ」を、古典物理にも見いだしてもらえれば幸いである。
posted by Koujin Amano at 09:21 | TrackBack(0) | 『医大受験』

2014年06月18日

[69] 今年の生徒たちに思う

少子浪人化現象
 「来年からセンター試験という入試制度が大きく変わり難しくなる」……とかいうウワサの
せいかもしれないが、今年度は浪人する生徒が減少し、多くが今を優先して進学したために、
生徒が激減している予備校さえあるという。
 消費税の駆け込み需要じゃあるまいし、自分の一生を左右する決断を、入試制度が
いじられたくらいで変えるのか?と不思議に思う。
 入れるところに入る、とりあえず受かったところに行く、それも一つの考え方かもしれないが、
少なくとも未来ある若者の発想とは思えない。一回きりの人生なんだから、それでいいの……?と思う。
 おそらく、周囲の大人達がよってたかって、大人の安全志向でもって説得し、
結果的に進学率を挙げるという見返りを得る……というようなこともあったのだろう。
 そんな中にあって、自分の夢を大きく描き、強い意志をもって浪人を選択した者は、
入試制度がどうあろうと「実力さえつければいいのだ」という上昇志向になる。
 サッカーワールドカップでは、世界の強豪ひしめく中に果敢に討って出る勇姿を
応援するではないか。ならば、自らの生き様も、入試制度云々ごときに影響されず、
果敢にチャレンジする若さがあってよいはずだ。
 幸いにして、そういう本物志向の若者たちは、今年、GHSに惹かれたかのように集まってきた。
やる気に満ちた目線、本物に触れたときの顔の輝き、吸収の速さ。
GHSは入塾にあたっては選抜試験をやらないが、自然な選抜作用が働いたようである。

ナン系タイ系・・・
今年のGHSは物理の年になるだろう。「体系物理」のテキストが合本され簡易製本ながら
形となったことはすでに述べた。その成果もあり、物理の進みは早く今週で熱力学が終了し、
すでに半分の道のりをすすんでいる。が、そんなことは序の口である。
今年は、上に述べたような意欲と底力がある生徒達のおかげで、受験物理については
もっと先の夢をみることができそうである。
それは「難系物理セミナー」の開講である。生徒のレベルに依存するので、
基本さえなっていない理系が多かったGHSのここ十数年で2-3回開講できたかという
ハイレベル授業である。が、今年はその対象者が物理選択者のほんとどである。
いわずとしれた『難系物理』をテキストとして、その見事に系統的な問題セレクトをめでながら、
解答解説は、徹底的に体系物理的に解き直していくというスタイルである。
 考えてもみよ、受験物理の難問が、あんな短い見開き解答解説で済むはずがないではないか。
図と解説の大幅なカットによって、行間の飛んだ、離れ業(カミワザ?)に近い解答であるから
あのページに収まっているように見えるのだ。
 だから読み解く受験生の方は大変であり、それゆえ独習でやり通す事が難しい参考書だからこそ、
東大受験生のバイブルとなり、長年のベストセラーとなっている。
難問題の系統的セレクトと配列は見事そのものといってよいのだが、我々の視点からすると、
解き方自体は系統的ではなく、初版が出た数十年前と何ら変わりない。
 実際、一つの問題をまじめに解説すると5-6ページにもなる。例題の解説をつけて本にすると、
3-4倍の厚さになるだろう(もちろん演習問題を除く)。
ふつうの受験生にはその行間を補うことは不可能である。だから、それを私とともに
いっしょにやろうという相互に愉しい授業である。
 幸いにも、「体系物理」をおさめた生徒もまじっているから、私の意に添った叩き台の解答を
書いてきてくれる。私の方は、「もし、体系化学のように言葉を尽くして説明したらどうなるか」
という観点で、文章化・データ化を行って、授業に提供し、追加・修正をするのである。
「難系セミナー」とは、そういう意味で授業ではなく、共同作業によって成し遂げる難事業とでも
いうべきだろうか。かつて、そういう思いはずっと温めてあるにはあったが、
人材があつまった今年こそ、大きな一歩をふみ出せたらと思うものである。
posted by Koujin Amano at 09:13| 体系化学

2014年05月05日

[68] 想い出の記 / 飯塚 統君のこと

読者倶楽部ではおなじみの・・・
 今春、晴れて九州大学・医学部に進学した、EZ君のことを記しておこうと思う。
読者倶楽部の掲示板の書き込みで、私に代わって随所で活躍してくれてきたEZ君もようやく、
実名で紹介できる段となった。あわせて、今年度からの『大学への数学』に掲載されるGHSの広告にも
実名で体験記を寄せてくれているので、一読されるとよいと思う。
 彼は現時点で「最強の読者受験生」の称号を与えてよい実力の持ち主である。
かつて、ここで初代「最強の読者受験生」として石埜君を紹介したが、後で述べるごとくに、
それを越える域に達したということである。というのは、石埜君は社会人からの再受験者であり、
体系化学のみの受講であったが、飯塚君は、高校生の3年からGHSにて化学と物理の授業を受けた。
体系化学がでて3年目である。彼は元々、受験とは程遠い競技の世界の住人であったが、
とにかく一念発起しての国立医学部狙いであったから、漢文の授業までもまともに受けた。
つまり、私との接点はGHS生としてはMax & Fullなのである。

幸せの受験生ないしは受験貴族 
もうカウントするのはやめたのだが、彼は結局高校3年分+αの受験期間をもったことになる。
それまで受験とは無縁の世界にいたのだから「自然なこと」だと私は思う。
しかし、それが「幸せの…」と形容したくなるのは、これ以上ない受験勉強ができたからである。
 いずれ詳しくは本人がどこかで語ることになるであろうが、まっさら状態の学び始めに
「体系化学」と「体系物理」の授業をフルに受講し、漢文もふくめて、その他の科目とともに
体系的な思考訓練をGHSで十分に受けての浪人生活のスタートであった。
 そして免許皆伝、そこからの「浪人」は「他流試合」「武者修行」の旅のはじまりである。
先日、彼自身が書いた「物理の勉強の軌跡」というのを読んだが、世の中にありとある問題集を
やり尽くしたというだけでなく、何度も繰り返す時間をもてたのであり、
すべてを体系化学・体系物理の視点から捉え返す、まさに貴族的なスコレーを過ごせたのである。
 だから、見かけはたしかに「多浪」かもしれないが、毎年のように発展しつづけ、
もはややることはない、というところまで物理と化学を極めての、満を持しての医学部進学である。
 スタートに恵まれず遠回りばかりしてきた我が人生に比すれば、
なんと幸せな時間をすごしたことか、と羨ましくさえある。
もちろん、体調を崩して入院したり、皮膚炎になったり、
あるいは、実力はあるのに結果がついてこない、などの様々な葛藤があったことを知っているから、
順風満帆の安楽な旅ではなかったことは付け加えておきたい。

今後は戦士としても
 ホントウはEZ君には首都圏の医学部にすすんでもらって、
GHSで私の「介護」を望みたいところであったが、人生の転変はいかんともしがたいところである。
とはいえ今後、『医大受験』や『漢文解析』HPなど
色々な場面で活躍してくれることになるだろう。
 なんとなれば、「体系化学アドバンス」という企画も、
『体系化学』を学びきってなお先を求める彼のために始めたことだったからであるし、
『漢文解析』の詳細目次や索引の作成、文章校正なども受験生の身ながら、
頼んだわけでもないが進んで自分の心の赴くままにやってくれたからである。
新天地にて、新たな地平を切り拓きつづけることを願うものである。
posted by Koujin Amano at 12:03 | TrackBack(0) | GHS卒生

2014年04月14日

[67] 柄にもなく

「文教講演」とな ?!? 
 先週の村田代表のブログに紹介されているが、
http://blog.ghs-yobikou.co.jp/index.php?blogid=3400&archive=2014-4-13
桜未だし四月の信州の、ある私立一貫校にて、ガラにもなく、
入学・進学式の「文教講演」なるものを300人もの父兄を前にやってきた。
「柄にもない」というのは、気が進まないということでもある。
といっても別に、人前でしゃべるのは苦でもなく、緊張するでもなく、
間持たせが苦手であるわけでもない。
ただ、自分のことを一切知らない不特定多数の人々に、たった60分で
私の中の何事かを伝えるのは至難の技と思うから、
どうにも気が進まなかったということである。
紆余曲折の己が半生を切り取って中途半端にしゃべれば、
かえって誤解や疑問の方が多くなってしまうものだ。しかも、あとで訂正は効かない。

 さらに困ったことに、私が『体系化学』の著者であるということはまったく知らない、
(信州では、思考訓練シリーズを扱う大きな本屋が、松本に一軒しかない・・・・)
もちろんGHSの存在も知らず、『医大受験』って何?という中で、
つまり、「なぜ私がこの場でしゃべる羽目になったか」から説かねばならないわけである。 

 長年GHSで授業をしているので、春のイントロからはじまり、授業1回ごとに、少しずつ
その何かを伝える。少なくとも数ヶ月の時間をかけないと伝わらないものがあるのだ。
そして、やがては加速度的に理解してもらうことには馴れている。
まして、GHSでは「私は何者か」については前提事項である。
この対極の事態である。
芸人やパフォーマーではないので、ワンステージごとが勝負!!というノリにはなれず、
難しいなーと、気はとても進まなかったのだが、如何せん、ウチの病院長の子弟二人が
通学する学校であり、親しき友人でもある院長から中学に推薦が入り、
それが高校に伝わり、教頭先生から直々に連絡をいただいたりすると、もう退路はない。
 一度も立ち入ったことのない高校なので、事前に訪問させてもらい、
打ち合わせがてら、校内を案内していただいたのだが、例年は、大手予備校や出版社など
教育系企業の情報担当者とか、教育心理の専門家などが講演しているという。

お題は自由……?!
 県内では医師の子弟も多く集まる進学校ではあるが、
なんといっても当日は、晴れの日であり、慶びの日である。さすがに「浪人のススメ」を
正面切って説くわけにもいかず、村田代表ともよくよく話し合って内容を詰めた。

1時間にわたる内容をここで紹介するわけにはいかないが、テーマは
            「将来から見据えた高校生活を」
とした。気づいただろうか?誤植ではない。正しい日本語は「将来を見据えた」である。
読者であれば、そこからある程度のことを想像していただけるであろう。

 もちろん、「退屈させない」「楽しんでもらう」という点は、生徒達でも親御さん達でも、
根は同じである。私にも、中二になる息子がいるが、親御さん達も教員も半分位は
同年代か、若干若い層である。であれば、時代の空気を共有しているのだから、
普通は授業では封印せざるを得ない懐かしいネタも取り混ぜてよい、という点はちょっと
いや、なかなか乗り気にさせてくれた。

 講演会といえば、プロジェクターとスライドがつきものである。私も医者の端くれであり、
Power Pointを使ってのプレゼンなどは学会でも薬剤説明会でも当たり前の世界である。
そこでスライドを20枚ばかり作って、それをネタにいろいろな話題と視点をまぜつつ、
遊び心満載での、まじめな教育談義となった。

 あとでわかったことだが、生徒と教室にもどったのは一年生の担任のみで、
それ以外の教師のほとんどはその場にいたということである。父兄とともに、
何気に教師の間で好評であったらしく・・・まあ、経歴とか職業とか聞くと、
どんなマジメな堅い話をするのかと思っていたところのギャップがよかったのだろう・・・
教頭先生からは、社交辞令的感謝とどまらない生の感想とともに、
今度は、是非生徒自身にも!という内容のメールが来た。

 しかし、やはり生徒を前にするのならば、講演形式はご免蒙りたい。
かといって、授業をする時間的余裕などは到底ないのであるが・・・・さて。


posted by Koujin Amano at 21:02| GHS卒生

2014年03月10日

[66] 道なき道を

アフター・ヘヴィ・スノー
 すでに信州も春めいてきた。空気はまだ冷たいこともあるが、
日差しは日に日に春陽の輝きを増してきている。
街路の雪もすっかりなくなり、先月の2回の大雪の苦労のことなど
夢の様でもある。
 前回の記事では、吹雪の中、埼玉のとある駅でのタクシー待ちの
苦労話を書いたが、実はその次の週末の大雪でも雪難に遭ってしまった。
前の週は、新幹線の駅に辿り着くまでのトラブルであったが、
今度は、新幹線自体がストップしてしまった。
「雪に強い」が自慢の長野・上越新幹線であるが、その想定を超えて
線路に雪がつもったため、土曜日の夜は、仕方なくホテルに缶詰になった。
・・・・そして幸いに、長野行き始発に乗ることができたのである。
ちょうど葛西選手がメダルを取った夜中三時過ぎ、さすがに目を覚まし、
そのままちょっと興奮して起きていたおかげで始発の切符が取れた!
新幹線はいきなり30分遅れで到着はしたが、この先がもっと大変だった。
というのは軽井沢から先、雪かきが間に合わず足止めとなってしまった。
線路を数十pの雪が覆い、雪かきが間に合わない、とのアナウンスであった。

DSC_0130.JPG
【2014.2.16 長野新幹線軽井沢駅 この先下り線路
 除雪が追いつかず前進不能に】

もちろん、他のローカル線も道路も使えず、もはやJR頼みであるが、
軽井沢から先は上り線のみを使っての「逆走運転」というアクロバット的英断
によって、なんとか我が家に辿り着いた。6時40分の始発が長野駅に
着いたのは夕刻の4時頃。8時間以上かかったことになる。
駅中には上り客がギッシリと列をなしていた。
夜遅くまでこの混雑は続いたという。

雪は本来、ワル者ではない
 そんなこんなで、大雪騒動に巻き込まれた二月下旬であったが、
かならずしもワルいことばかりではない。
そもそも人間が山々を切り拓いて新幹線なぞ通すから
「雪害」となるのであって、より大きな自然からすれば、
誤差範囲の「大雪」にちがいない。むしろ、この大雪と、
その後の寒波によって、信州の雪景色は引締まった。

このblogではこの時期、毎年のように、スノーシュー
トレッキングの話を記しているが、今年はさすがに
「12月このかた雪は少ないし、今年は無しかな・・・」などと
思っていたところ、この大雪が事態を一変させたのである。
3月に入ってすぐの週末、東京から健脚の友人を迎えたので、
これを機会に戸隠奥社のスノーシュー・トレッキングに誘った。

前日にも30センチ近い雪が降り、二月の大雪の上を覆い、
地面からは1mほど上を歩く。
DSC_0142.JPG
行程の半分ほど行ったところ、
杉に挟まれた参道=山道の
この先へと登ると戸隠の奥社が
あるのだが、雪深いため、
通行禁止となっている。
ここから方向を変えて
目的の地「鏡池」へと向かう。
名の通り戸隠の峰が湖面に
映る名所だ。しかし、この時期は、
上手くいけば湖面は凍結しており、
その上を歩けるのである。
その幸運にあたるのか、それは
行ってみなければわからない。
果たして・・・・






道なき道を二時間近く歩きつづける。・・・・ベテランの
ガイドがいなければ、ゼッタイに迷うから、シロウト同士では
行かないことだ。吹雪にでもあえば方向はわからないくなる。
なにせ、道はなくなっているし、同じ景色なのだから方向も
わからなくなる、吹雪いてなくてもこんな風だ・・・

DSC_0149.JPG
360度、一様な雪面と枯れ木の林遠くの山や、太陽が見えれば
方向の手がかりになるが、吹雪になれば、それも見失われ、
行く方向は定まらないもの。

前日は、吹雪いたという。賢明にも、途中で引き返した一行の
足跡が残っていた。実は、そこから鏡池までは、ほんの1-200mほどの
ところであったが、その見通しも立たなかったのであろう。
果たして、天気に味方された我々は、急に開けたところに出た。

DSC_0148.JPG
    【手前はこの道20年のガイド・タケさん】

前方の険しい峰崖は、常人を寄せ付けない霊峰である証。
いつもはその姿を映す湖面は十分に厚い氷に覆われ、
余裕でザクザクとした歩きが可能であった。
零下10度近い寒さではあったが、東屋に避け、湯を沸かし、
カップラーメンや豚汁などで体を温め、無事帰路についたことであった。


同行の士は、読者倶楽部会員でおなじみ「とっとさん」である。
日頃、登山部で鍛えているという方なので、
ある質問に対する‘答え’を示すために、
遠慮することなく、ここへお連れした次第である。
それは「体系化学がなぜ書けたのか?」に対する本質的な答えである。
このblogでも綴りはしたが、それだけでは実感しがたいとの思いからである。
それを端的に言えば、
    「そこにゴールがあると信じていたから」
である。化学の学びもまた体系的に説けるはずだ、一本の筋が通るはずだ、
ということを、当時、私以外の誰も信じていなかったのだろう。
そして私だけが、「必ず開けた場所に辿り着ける」との信念を堅持し、
そして ‘ 導きの糸 ‘’(「まえがき」に記した通り)にしたがって、
道なき道を進みつづけた。それだけなのである。
いいところまで迫りながら、途中で引き返した人もいたことだろう。
・・・・雪原の道なき道をゆく、この体験はこんな「原点」に戻る時間でも
ある。歩いたところだけが「道」である。

……休暇の旅土産には、わたしがこよなく愛す信州の銘酒達とともに、
この信州の雪景色の見事さに重ねて、そんな思いも託したかったのである。
posted by Koujin Amano at 13:37 | TrackBack(0) | 体系化学