2014年06月18日

[69] 今年の生徒たちに思う

少子浪人化現象
 「来年からセンター試験という入試制度が大きく変わり難しくなる」……とかいうウワサの
せいかもしれないが、今年度は浪人する生徒が減少し、多くが今を優先して進学したために、
生徒が激減している予備校さえあるという。
 消費税の駆け込み需要じゃあるまいし、自分の一生を左右する決断を、入試制度が
いじられたくらいで変えるのか?と不思議に思う。
 入れるところに入る、とりあえず受かったところに行く、それも一つの考え方かもしれないが、
少なくとも未来ある若者の発想とは思えない。一回きりの人生なんだから、それでいいの……?と思う。
 おそらく、周囲の大人達がよってたかって、大人の安全志向でもって説得し、
結果的に進学率を挙げるという見返りを得る……というようなこともあったのだろう。
 そんな中にあって、自分の夢を大きく描き、強い意志をもって浪人を選択した者は、
入試制度がどうあろうと「実力さえつければいいのだ」という上昇志向になる。
 サッカーワールドカップでは、世界の強豪ひしめく中に果敢に討って出る勇姿を
応援するではないか。ならば、自らの生き様も、入試制度云々ごときに影響されず、
果敢にチャレンジする若さがあってよいはずだ。
 幸いにして、そういう本物志向の若者たちは、今年、GHSに惹かれたかのように集まってきた。
やる気に満ちた目線、本物に触れたときの顔の輝き、吸収の速さ。
GHSは入塾にあたっては選抜試験をやらないが、自然な選抜作用が働いたようである。

ナン系タイ系・・・
今年のGHSは物理の年になるだろう。「体系物理」のテキストが合本され簡易製本ながら
形となったことはすでに述べた。その成果もあり、物理の進みは早く今週で熱力学が終了し、
すでに半分の道のりをすすんでいる。が、そんなことは序の口である。
今年は、上に述べたような意欲と底力がある生徒達のおかげで、受験物理については
もっと先の夢をみることができそうである。
それは「難系物理セミナー」の開講である。生徒のレベルに依存するので、
基本さえなっていない理系が多かったGHSのここ十数年で2-3回開講できたかという
ハイレベル授業である。が、今年はその対象者が物理選択者のほんとどである。
いわずとしれた『難系物理』をテキストとして、その見事に系統的な問題セレクトをめでながら、
解答解説は、徹底的に体系物理的に解き直していくというスタイルである。
 考えてもみよ、受験物理の難問が、あんな短い見開き解答解説で済むはずがないではないか。
図と解説の大幅なカットによって、行間の飛んだ、離れ業(カミワザ?)に近い解答であるから
あのページに収まっているように見えるのだ。
 だから読み解く受験生の方は大変であり、それゆえ独習でやり通す事が難しい参考書だからこそ、
東大受験生のバイブルとなり、長年のベストセラーとなっている。
難問題の系統的セレクトと配列は見事そのものといってよいのだが、我々の視点からすると、
解き方自体は系統的ではなく、初版が出た数十年前と何ら変わりない。
 実際、一つの問題をまじめに解説すると5-6ページにもなる。例題の解説をつけて本にすると、
3-4倍の厚さになるだろう(もちろん演習問題を除く)。
ふつうの受験生にはその行間を補うことは不可能である。だから、それを私とともに
いっしょにやろうという相互に愉しい授業である。
 幸いにも、「体系物理」をおさめた生徒もまじっているから、私の意に添った叩き台の解答を
書いてきてくれる。私の方は、「もし、体系化学のように言葉を尽くして説明したらどうなるか」
という観点で、文章化・データ化を行って、授業に提供し、追加・修正をするのである。
「難系セミナー」とは、そういう意味で授業ではなく、共同作業によって成し遂げる難事業とでも
いうべきだろうか。かつて、そういう思いはずっと温めてあるにはあったが、
人材があつまった今年こそ、大きな一歩をふみ出せたらと思うものである。
posted by Koujin Amano at 09:13| 体系化学

2014年05月05日

[68] 想い出の記 / 飯塚 統君のこと

読者倶楽部ではおなじみの・・・
 今春、晴れて九州大学・医学部に進学した、EZ君のことを記しておこうと思う。
読者倶楽部の掲示板の書き込みで、私に代わって随所で活躍してくれてきたEZ君もようやく、
実名で紹介できる段となった。あわせて、今年度からの『大学への数学』に掲載されるGHSの広告にも
実名で体験記を寄せてくれているので、一読されるとよいと思う。
 彼は現時点で「最強の読者受験生」の称号を与えてよい実力の持ち主である。
かつて、ここで初代「最強の読者受験生」として石埜君を紹介したが、後で述べるごとくに、
それを越える域に達したということである。というのは、石埜君は社会人からの再受験者であり、
体系化学のみの受講であったが、飯塚君は、高校生の3年からGHSにて化学と物理の授業を受けた。
体系化学がでて3年目である。彼は元々、受験とは程遠い競技の世界の住人であったが、
とにかく一念発起しての国立医学部狙いであったから、漢文の授業までもまともに受けた。
つまり、私との接点はGHS生としてはMax & Fullなのである。

幸せの受験生ないしは受験貴族 
もうカウントするのはやめたのだが、彼は結局高校3年分+αの受験期間をもったことになる。
それまで受験とは無縁の世界にいたのだから「自然なこと」だと私は思う。
しかし、それが「幸せの…」と形容したくなるのは、これ以上ない受験勉強ができたからである。
 いずれ詳しくは本人がどこかで語ることになるであろうが、まっさら状態の学び始めに
「体系化学」と「体系物理」の授業をフルに受講し、漢文もふくめて、その他の科目とともに
体系的な思考訓練をGHSで十分に受けての浪人生活のスタートであった。
 そして免許皆伝、そこからの「浪人」は「他流試合」「武者修行」の旅のはじまりである。
先日、彼自身が書いた「物理の勉強の軌跡」というのを読んだが、世の中にありとある問題集を
やり尽くしたというだけでなく、何度も繰り返す時間をもてたのであり、
すべてを体系化学・体系物理の視点から捉え返す、まさに貴族的なスコレーを過ごせたのである。
 だから、見かけはたしかに「多浪」かもしれないが、毎年のように発展しつづけ、
もはややることはない、というところまで物理と化学を極めての、満を持しての医学部進学である。
 スタートに恵まれず遠回りばかりしてきた我が人生に比すれば、
なんと幸せな時間をすごしたことか、と羨ましくさえある。
もちろん、体調を崩して入院したり、皮膚炎になったり、
あるいは、実力はあるのに結果がついてこない、などの様々な葛藤があったことを知っているから、
順風満帆の安楽な旅ではなかったことは付け加えておきたい。

今後は戦士としても
 ホントウはEZ君には首都圏の医学部にすすんでもらって、
GHSで私の「介護」を望みたいところであったが、人生の転変はいかんともしがたいところである。
とはいえ今後、『医大受験』や『漢文解析』HPなど
色々な場面で活躍してくれることになるだろう。
 なんとなれば、「体系化学アドバンス」という企画も、
『体系化学』を学びきってなお先を求める彼のために始めたことだったからであるし、
『漢文解析』の詳細目次や索引の作成、文章校正なども受験生の身ながら、
頼んだわけでもないが進んで自分の心の赴くままにやってくれたからである。
新天地にて、新たな地平を切り拓きつづけることを願うものである。
posted by Koujin Amano at 12:03 | TrackBack(0) | GHS卒生

2014年04月14日

[67] 柄にもなく

「文教講演」とな ?!? 
 先週の村田代表のブログに紹介されているが、
http://blog.ghs-yobikou.co.jp/index.php?blogid=3400&archive=2014-4-13
桜未だし四月の信州の、ある私立一貫校にて、ガラにもなく、
入学・進学式の「文教講演」なるものを300人もの父兄を前にやってきた。
「柄にもない」というのは、気が進まないということでもある。
といっても別に、人前でしゃべるのは苦でもなく、緊張するでもなく、
間持たせが苦手であるわけでもない。
ただ、自分のことを一切知らない不特定多数の人々に、たった60分で
私の中の何事かを伝えるのは至難の技と思うから、
どうにも気が進まなかったということである。
紆余曲折の己が半生を切り取って中途半端にしゃべれば、
かえって誤解や疑問の方が多くなってしまうものだ。しかも、あとで訂正は効かない。

 さらに困ったことに、私が『体系化学』の著者であるということはまったく知らない、
(信州では、思考訓練シリーズを扱う大きな本屋が、松本に一軒しかない・・・・)
もちろんGHSの存在も知らず、『医大受験』って何?という中で、
つまり、「なぜ私がこの場でしゃべる羽目になったか」から説かねばならないわけである。 

 長年GHSで授業をしているので、春のイントロからはじまり、授業1回ごとに、少しずつ
その何かを伝える。少なくとも数ヶ月の時間をかけないと伝わらないものがあるのだ。
そして、やがては加速度的に理解してもらうことには馴れている。
まして、GHSでは「私は何者か」については前提事項である。
この対極の事態である。
芸人やパフォーマーではないので、ワンステージごとが勝負!!というノリにはなれず、
難しいなーと、気はとても進まなかったのだが、如何せん、ウチの病院長の子弟二人が
通学する学校であり、親しき友人でもある院長から中学に推薦が入り、
それが高校に伝わり、教頭先生から直々に連絡をいただいたりすると、もう退路はない。
 一度も立ち入ったことのない高校なので、事前に訪問させてもらい、
打ち合わせがてら、校内を案内していただいたのだが、例年は、大手予備校や出版社など
教育系企業の情報担当者とか、教育心理の専門家などが講演しているという。

お題は自由……?!
 県内では医師の子弟も多く集まる進学校ではあるが、
なんといっても当日は、晴れの日であり、慶びの日である。さすがに「浪人のススメ」を
正面切って説くわけにもいかず、村田代表ともよくよく話し合って内容を詰めた。

1時間にわたる内容をここで紹介するわけにはいかないが、テーマは
            「将来から見据えた高校生活を」
とした。気づいただろうか?誤植ではない。正しい日本語は「将来を見据えた」である。
読者であれば、そこからある程度のことを想像していただけるであろう。

 もちろん、「退屈させない」「楽しんでもらう」という点は、生徒達でも親御さん達でも、
根は同じである。私にも、中二になる息子がいるが、親御さん達も教員も半分位は
同年代か、若干若い層である。であれば、時代の空気を共有しているのだから、
普通は授業では封印せざるを得ない懐かしいネタも取り混ぜてよい、という点はちょっと
いや、なかなか乗り気にさせてくれた。

 講演会といえば、プロジェクターとスライドがつきものである。私も医者の端くれであり、
Power Pointを使ってのプレゼンなどは学会でも薬剤説明会でも当たり前の世界である。
そこでスライドを20枚ばかり作って、それをネタにいろいろな話題と視点をまぜつつ、
遊び心満載での、まじめな教育談義となった。

 あとでわかったことだが、生徒と教室にもどったのは一年生の担任のみで、
それ以外の教師のほとんどはその場にいたということである。父兄とともに、
何気に教師の間で好評であったらしく・・・まあ、経歴とか職業とか聞くと、
どんなマジメな堅い話をするのかと思っていたところのギャップがよかったのだろう・・・
教頭先生からは、社交辞令的感謝とどまらない生の感想とともに、
今度は、是非生徒自身にも!という内容のメールが来た。

 しかし、やはり生徒を前にするのならば、講演形式はご免蒙りたい。
かといって、授業をする時間的余裕などは到底ないのであるが・・・・さて。


posted by Koujin Amano at 21:02| GHS卒生

2014年03月10日

[66] 道なき道を

アフター・ヘヴィ・スノー
 すでに信州も春めいてきた。空気はまだ冷たいこともあるが、
日差しは日に日に春陽の輝きを増してきている。
街路の雪もすっかりなくなり、先月の2回の大雪の苦労のことなど
夢の様でもある。
 前回の記事では、吹雪の中、埼玉のとある駅でのタクシー待ちの
苦労話を書いたが、実はその次の週末の大雪でも雪難に遭ってしまった。
前の週は、新幹線の駅に辿り着くまでのトラブルであったが、
今度は、新幹線自体がストップしてしまった。
「雪に強い」が自慢の長野・上越新幹線であるが、その想定を超えて
線路に雪がつもったため、土曜日の夜は、仕方なくホテルに缶詰になった。
・・・・そして幸いに、長野行き始発に乗ることができたのである。
ちょうど葛西選手がメダルを取った夜中三時過ぎ、さすがに目を覚まし、
そのままちょっと興奮して起きていたおかげで始発の切符が取れた!
新幹線はいきなり30分遅れで到着はしたが、この先がもっと大変だった。
というのは軽井沢から先、雪かきが間に合わず足止めとなってしまった。
線路を数十pの雪が覆い、雪かきが間に合わない、とのアナウンスであった。

DSC_0130.JPG
【2014.2.16 長野新幹線軽井沢駅 この先下り線路
 除雪が追いつかず前進不能に】

もちろん、他のローカル線も道路も使えず、もはやJR頼みであるが、
軽井沢から先は上り線のみを使っての「逆走運転」というアクロバット的英断
によって、なんとか我が家に辿り着いた。6時40分の始発が長野駅に
着いたのは夕刻の4時頃。8時間以上かかったことになる。
駅中には上り客がギッシリと列をなしていた。
夜遅くまでこの混雑は続いたという。

雪は本来、ワル者ではない
 そんなこんなで、大雪騒動に巻き込まれた二月下旬であったが、
かならずしもワルいことばかりではない。
そもそも人間が山々を切り拓いて新幹線なぞ通すから
「雪害」となるのであって、より大きな自然からすれば、
誤差範囲の「大雪」にちがいない。むしろ、この大雪と、
その後の寒波によって、信州の雪景色は引締まった。

このblogではこの時期、毎年のように、スノーシュー
トレッキングの話を記しているが、今年はさすがに
「12月このかた雪は少ないし、今年は無しかな・・・」などと
思っていたところ、この大雪が事態を一変させたのである。
3月に入ってすぐの週末、東京から健脚の友人を迎えたので、
これを機会に戸隠奥社のスノーシュー・トレッキングに誘った。

前日にも30センチ近い雪が降り、二月の大雪の上を覆い、
地面からは1mほど上を歩く。
DSC_0142.JPG
行程の半分ほど行ったところ、
杉に挟まれた参道=山道の
この先へと登ると戸隠の奥社が
あるのだが、雪深いため、
通行禁止となっている。
ここから方向を変えて
目的の地「鏡池」へと向かう。
名の通り戸隠の峰が湖面に
映る名所だ。しかし、この時期は、
上手くいけば湖面は凍結しており、
その上を歩けるのである。
その幸運にあたるのか、それは
行ってみなければわからない。
果たして・・・・






道なき道を二時間近く歩きつづける。・・・・ベテランの
ガイドがいなければ、ゼッタイに迷うから、シロウト同士では
行かないことだ。吹雪にでもあえば方向はわからないくなる。
なにせ、道はなくなっているし、同じ景色なのだから方向も
わからなくなる、吹雪いてなくてもこんな風だ・・・

DSC_0149.JPG
360度、一様な雪面と枯れ木の林遠くの山や、太陽が見えれば
方向の手がかりになるが、吹雪になれば、それも見失われ、
行く方向は定まらないもの。

前日は、吹雪いたという。賢明にも、途中で引き返した一行の
足跡が残っていた。実は、そこから鏡池までは、ほんの1-200mほどの
ところであったが、その見通しも立たなかったのであろう。
果たして、天気に味方された我々は、急に開けたところに出た。

DSC_0148.JPG
    【手前はこの道20年のガイド・タケさん】

前方の険しい峰崖は、常人を寄せ付けない霊峰である証。
いつもはその姿を映す湖面は十分に厚い氷に覆われ、
余裕でザクザクとした歩きが可能であった。
零下10度近い寒さではあったが、東屋に避け、湯を沸かし、
カップラーメンや豚汁などで体を温め、無事帰路についたことであった。


同行の士は、読者倶楽部会員でおなじみ「とっとさん」である。
日頃、登山部で鍛えているという方なので、
ある質問に対する‘答え’を示すために、
遠慮することなく、ここへお連れした次第である。
それは「体系化学がなぜ書けたのか?」に対する本質的な答えである。
このblogでも綴りはしたが、それだけでは実感しがたいとの思いからである。
それを端的に言えば、
    「そこにゴールがあると信じていたから」
である。化学の学びもまた体系的に説けるはずだ、一本の筋が通るはずだ、
ということを、当時、私以外の誰も信じていなかったのだろう。
そして私だけが、「必ず開けた場所に辿り着ける」との信念を堅持し、
そして ‘ 導きの糸 ‘’(「まえがき」に記した通り)にしたがって、
道なき道を進みつづけた。それだけなのである。
いいところまで迫りながら、途中で引き返した人もいたことだろう。
・・・・雪原の道なき道をゆく、この体験はこんな「原点」に戻る時間でも
ある。歩いたところだけが「道」である。

……休暇の旅土産には、わたしがこよなく愛す信州の銘酒達とともに、
この信州の雪景色の見事さに重ねて、そんな思いも託したかったのである。
posted by Koujin Amano at 13:37 | TrackBack(0) | 体系化学

2014年02月10日

[65]振り返ることなど

心温まる,体冷える話
 先週末は、全国的に大雪に見舞われて、あちこちでトラブルが発生したが、
実は私もヒドい目にあった。
 土曜日は、埼玉県にいたのだが、臨時の仕事を終えていつもの
駅まで吹雪の中バスが到着すると、新幹線の大宮駅に向かう電車が
運転見合わせで、6時間止まったままという。都心の電車がマヒしていて、
各駅に電車が足止め状態となり、運転の目処が立ちませんというアナウンス。
 ネット情報では、「運休」ではなく「大幅遅れ」とあるから、
遅れてもとりあえず動いていればいいやと思って行けば、この有様だ。
そうだとわかっていれば、仕事場から直にタクシーで新幹線の駅まで
行くという手があったのに。遅れがでても動いているのか、
遅れといっても実質、運休状態なのか、その辺りをハッキリさせて
ほしかったところだ。こういうときは、公式な情報より、ツイッターとかの
方が役に立つのか・・・、と今にして思う。
 長野新幹線は、さすがに遅れても動いていた(元々雪には強くできている。
遅れるのは東京から高崎までの他の路線の影響の方が大きい)ので、
大宮駅までいけばなんとかなると思い、電車から引き返して駅前でタクシーを
拾おうとしたがすでに長蛇の列。20人以上待ち、つまりタクシーは20台待ちか・・・
しかし、近隣のホテルも満室とのことなので、他に手段はない。
結局、0℃近い寒風の中、一時間近く待ってようやくタクシーを拾えた。

なんとかその日の内に、自宅に帰りつけたが、近隣ホテル満室、
さすがに知り合いも近くにはいない状況で、
下手すると駅で一夜明かすところであった。

一応、信州に十年以上住んでいるから寒さ慣れはしているが、でも、
さすがにこれは応えた。雪山にいくような防寒はしていないし。
もしこれが二時間立っていたら、ちょっとヤバいなと思った。
「軽装で登山して、気候急変、低体温症になる」パターンだ。
まあ、いずれタクシーがくる、とわかっているから大丈夫なのだが。

・・・・ということで体は冷え冷えしたが、心は温まった。
というのも、ちょうど1人前にならんでいた、同年齢くらいの会社員も、
同じ駅を目指すことがわかり、相乗り・割り勘となったばかりではない、
タクシーは一台1人しか乗せて行かないことにギモンを感じていたので、
もう1人乗せていけば、料金は割り勘で、みんなの役にも立つ、と思って
いたら、その人が、「●●駅まで、いく人まだ一人乗れますよ〜」と
私より先に声をかけてくれ、後ろから二十代の会社員が手を挙げて、
三人の道中となった。モノのわかる人と連れとなって互いに
少し暖かくなった。さらに、・・・・
タクシーで一時間弱、温まった三人の話の輪に、自然、タクシーの
乗務員も加わってきた。
・・・・私は信州人だからわかるのだが、この運転手、
雪道の運転が実に上手い。そこそこの速度で走ってくれているので、
新幹線最終予定(どうせ遅れてはいたが)にも余裕で間に合うペースだった。

聞けば、かつては東北の方でタクシーをやっていたとのこと。
いくらタクシー運転手といえども、埼玉辺りでは慣れていない
ドライバーもいるから、そんな時はタクシーも引き上げてしまうのだと。
こんなドライバーにあたったのはラッキーこの上ない。しかも、
「朝九時から勤務で、夜八時には終了だったんですけどね、
 駅にあんなに並んでるの見ちゃ、帰れませんよ」
・・・・これは、腕があるからこそのプロ意識であり仕事に対するプライド
である。こういう心に触れて、気持ちまでも暖かくなった。
そして到着した駅で、そんな安らいだ気持ちを携えたまま、別れを惜しみ、
かといって三人とも連絡先も名前も告げずに別れたのだったが、
でも、こういうことはずっと心に遺るものなのだ、と思った次第。

振り返る暇ありて
「入試の追い込み時期ですね、センセイ、大変でしょう?」と
病院のスタッフからはこんなふうに言われるが、
それは高校入試のイメージなのだろう。今はOFFである。 
 この時期は生徒は受験に出払い、少人数制予備校のGHSでは、
私の授業がない(できない)ので、3月までは充電期間となり、
今年度のプリント類の整理整頓や、HPの改作、テキスト作りなど
一年を振り返る時間となる。
現在は、『漢文解析』の最終校正をやりつつ、
有機化学と体系物理のテキストの合本化にとりくんでいるところである。
両テキストとも、漸く一冊にする段階に達した。
こんな作業をしていると、『体系化学』がそうであったころを思い出す。

そんなこんなで、昔のフォルダを開く機会があったのだが、
有機化学テキストという名のファイルがあるのは、2003年から。

この時、「体系化学」のファイルは、77ページまでしかなく、
酸化還元反応の演習ところで終わっている。それ以降は存在しないのである。
そして毎年、修正と章の追加を重ねて、出版の2008年までつづく。
もちろん、中身は頭の中にできているし、授業で行っているわけだから、
それを文章化、データ化すればよいだけなのだが、
気力の充実と時間の余裕が一致するときは中々見つけられないものである。

しかも、出版の話は2006年であり、当時はそもそも「急いで書き上げよう」
という気持ちがない。出版してもうけようなんて思っていないし、
どこかに名前を売りたいわけでもない、だいたい、
「私が化学の本などを書く理由がないではないか」と心底で
思っているわけだから、そんなにパッパと完成するわけがないのである。

その意味では、育文社に、「この時点までに!!」という線を引いてもらったことは、
有り難かったといえる。まあ、かなり無理をして時間をつくったが...。

そこを振り返ると、有機化学のテキストの初年は2003年で、そこから
テキストとして合本できるまでに10年かかったことになる。
わずか数ページのその初期ファイルを眺めて、我ながら感心するのは、
「まえがき」と「目次」だけはすでにキチンとできていて、
あとはそれが具体化していくだけだったと、今振り返るとわかる。

もちろん、そこまでに、数年にわたる授業の錬成の期間がある。
その中身をふまえて「まえがき」と「目次」をえいやっ!と書くことから
はじまったのである。『体系化学』もまた、同様に「まえがき」・「あとがき」と
目次構成から始まった。中身は未だなくても、「あとがき」はあった。

それは最新の『漢文解析』でもおなじで、「まえがき」と「あとがき」だけは、
最初からほぼ完成形で存在した。

有機テキスト再起動
実は、有機化学のテキストとしては、ここから数年進展がなかった。
それは当然、『体系化学』にエネルギーと時間を傾注したためであるが、
結果的に、有機の授業はプリントと板書で、さらに中身を錬磨・熟成させる
期間となった。これが再度うごき始めたのは、2009年からである。

最初は、もう1人の化学講師とのコラボ授業(私が講義して演習は任せる)のため、
有機化学の授業の内容の要点を書くというところからスタートした。
だから、図も問題もない筋書きのみであったが、それでも高分子を除いて
127ページまで頑張って書いた。それをもとに授業で補足する。
あとで補足した内容を反映して書き足し、次の年に少しボリュームアップして……
を繰り返し、そこから5年かかってようやく「本」らしくなった。
今年、高分子編も書き上がったので、昨年の前半の製本部分とあわせて合本と
したものが来年度のテキストとなる。
現状でB4版 246ページで、「有機物とは何か」から、高分子化合物まで
をストーリーとして説いた「部内教科書」である。もっとも、演習問題は
ついているが、まだ解答解説は、データ化されていない。
・・・それでもここまでよくできたものだ。

それは一重に、この三年間、私の授業をほとんど欠かさず聴講し、
板書の図をデータに描き起こすという大変な労働をやっていただいた、
読者倶楽部会員「とっとさん」(=高校教師である)のおかげとしか言いようがない。
この強力な援軍にして、同行の士(ないし有能な介護者?ないし御者?)を得たからこそ、
私もその気になって先に進むことができたのである。

これまで授業で配布するテキストは、コピー小冊子でいくつかに分割されていて、
しかも図や式のような手間がかかるところはブランクになっており、
生徒は板書を見て埋める、というスタイルであった。
来年度は、同じ時間でも、そこから先に進めるという期待感がある。

そういえば『体系化学』の時もそうだった、そうやって年々歳々
一段ずつ進んだ。進んでいればいつかは完成する、急ぎつつも
焦らずに、という歩みだった。
そしてその歳月がもたらすものは、まえがきの精神と、目次の構成は、
ほとんど同じながら、当初予想し得なかったレベルの深まりを含む
内容の「合本」であった。

・・・・仮に、これを『体系化学』の続編として出すとすると、
また面倒なことが立ちはだかる。第1に「解答解説篇」が必要だ。
もちろん、答えだけつけるみたいな手抜きはできないから、
これも読めるように書かねばならない。
今のところ40問セレクトしてあるから、200ページはくだるまい。
第2に、解答解説はテキストより説明図が多くなってしまうのは授業で確認ずみだ。
「こんな大きな海に再び漕ぎ出す必要があるかな」・・・・・と思ったりする。
今までのペースなら、これにまた数年かかるし・・・・・

しかし、そうとも限らない事情もある。
『体系化学』の時は、たしかに孤軍奮闘・一人旅であったし
そもそも内容からして校正ができる人材さえいなかった。ところが、
おかげさまで、というべきか、今は環境がちがう。
『体系化学』の論理と精神とを理解して協力をしてくれる人材は
GHS内だけにとどまらない。そしてさらに、『医大受験』がある。

 ‘困難は分割せよ’ の至言にしたがって、「有機化学」を連載稿として
少しずつ公開していけばよいではないか。
すると、解答解説も少しずつ書けばよく、さらに内容のベースは授業ノート
にあるから、それを錬磨洗練したかたちで書けばよい。
・・・・・ということで、『医大受験』に予告したとおり、来年度は
有機化学篇の連載をスタートすることになる。

『体系化学』初期からの読者からの、ぜひに有機化学篇を!とのリクエストに
ようやくにしてお応えできるかと...。
posted by Koujin Amano at 13:36 | TrackBack(0) | 体系化学

2014年01月18日

[64]本日はセンター試験なり

 昨夜・今朝と、物理の〆として「原子物理」の授業を終えたところ。
さすがに対象生徒は少ない。そもそも私立医学部は「原子物理」を
試験範囲から
外すところの方が多数派であるし、その中でセンター試験を受けない受験生
となると少数だが、それはホントに原子物理が必要だということだから、
直前の集中講義で貴重な数点をもぎ取れるようにしてやりたい。
・・・というわけで、これで今年度も一区切り、毎年思うことだが、
生徒との付き合いの日々はあっという間だ。

サヨナラ,センター試験
 さて前回は、センター試験の良いところを敢えて挙げてみた。
正確にいえば、「原点において良かったところ」であり
それが経営的現実との妥協と、ゆとりと言う名の“へたれ教育”との相乗作用で、
変節を重ね、骨抜きになってきた歴史がある。
 「センター試験」制度自体はあと少しだが、現時点で受験する人の目には、
今のあり方しか見えないし、関心がないものであろうから、
私自身、たまたまその最初から最後まで居合わせた者として
今回は、その変貌・変質ぶり記しておこうと思う。

 原点におけるセンター(旧・共通一次)試験の「美徳」は、
“選択の余地がない”という点であった。(理由は前回参照)
もっとも理科と社会は選択できたが、各々二科目ずつというのが
出発点の姿であった。
 高校卒業時の学力認定試験という意味では、制度の主旨は
まったくの正論でありあるべき姿だったと思う。
 ただしそれには前提が必要だった。それはいうまでもなく、
高等教育の中身がまともであること、学力をつけるような教育が行われていること
試すべき学力がついているということだ。
 現実には、それなくしての「理想形」の先走りであったから、
当然に受験生の負担を増やすだけだ」、「暗記と詰め込みを助長するものだ」
などと批判を受け、かつ、低学力・低得点者層が増大していき、かつ、
センター試験のない私立に受験生が流れる……ということになった。

定員割れを防ぐための妥協
 地方の国立大学は定員割れがゼッタイ許されない制度になっているから、
「国立離れ」(東大・京大等は関係ないが…...)を食い止めることが必要だった。

そこで「受験生の負担軽減」の大義名分に乗っかってセンター試験の
骨抜きが始まることになった。たとえば「共通一次」といいつつ、
大学・学部ごとに受ける試験の科目が増減できるようになった。
これでは「共通」でもなんでもない。つまり、受ける大学を選べば
受験生は「手抜き」(いやいや「負担軽減」か)ができるようになった。
高校卒業時としてあるべき学力の判定試験」という理想形
そうやって現場の要求のまえに崩れていく。
わかりやすく言えば、受験科目にないものは勉強しなくてよい、
ということを受験生だけでなく、学校も進学率向上の名目で
それに手を貸し、学力が矮小化していく。
どうやったら学力が向上するか、どうすれば高卒といいうる
偏りない学力をつけてやれるか、これこそが高校教育の本質的問題で
あるべきなのに、そこは変わらないまま制度の方をいじるわけだ。

少子化とゆとりと私学の経営
 次なる変節は、私学の参入である。国立はセンター試験、
センター試験がいやなら私学、というのが昔は普通だった。
ところが気がつくと、センター試験利用の私学受験が可能になり、
センター試験の中から必要なだけ選んで受験し、二次試験もなく、
それだけで入れる大学さえも出現した。
ランチのバイキングじゃないんだから・・・・と苦笑する。

繰り返すが、試験そのものが負担なのではなく、
それを負担に感じる低学力と、教育の低迷が本質的問題なのだ。
 
少子化もあり、私学も定員割れ、学部閉鎖、学校倒産という
深刻な状態になってきた。
・・・病院だと医師とか看護士に下限があって、入院患者が
少ないのは経営悪化となるが、医師不足になると保健所の指導で
病棟閉鎖になってしまうが、似たようなものか・・・・

規制緩和とやらであちこちに大学が増えたのが
そもそもいけないのだが、すると問題作りや採点をする人手も手薄となり
外注したりする。あろうことか予備校に頼んだり(まあ一応問題はないのだが)
あるいはセンター試験を利用する、というわけである。

簡単な話だが、大学にいくに足りない学力のヤツは大学なんぞに行かなくていい
のであり、大学は学問の府なのだからそんな学生をとってまで教育を施す
必要はないのである。
運転技量がないとか交通ルールが覚えられないヤツは、自動車運転免許証は
もらえないし、与えるべきではないし、
大相撲やりたいヤツは規定以上の身長と体重が必要で、それ以下なら入門できないし、
また、すべての国家資格試験のように、全科目に合格点がとれないと、
その仕事につけない、これと同じ当たり前のことなのだが、
「定員割れ」とか「経営」とかいう別次元の問題によって歪められてきた。

平均点とか科目間の公平性とか
 国が行う試験という宿命から、科目間格差とかがあっては
ならないわけである。そこで理科では、物理や化学から点差が開きやすい
計算問題がごそっと範囲外になった。
『体系化学』でいうと、8つの基礎公式は、初期のセンター(共通一次)試験では、
すべて範囲内であった。ゆとりと言う名の過保護教育にかこつけて、
その2/3が化学I(ないし化学基礎)から追い出された。
物理にしても、おどろくべきは、力学では運動量保存則は範囲外であり、
そんな力学はもうインチキだってわかりきっているのに、理科の平均点を
そろえるために、センター試験はついに指導要領まで骨抜きにしてしまった
ことになる。
ふつう時代が下ると、それだけ文化遺産は増えるのだから、学ぶべき知識は
増大し、それをどうやって整理して教え学ぶかをこそ考えねばなないはずである。
そういう歴史発展の流れに逆行することが長続きするわけもなく、
結局、制度そのもののリセットとなったのである。

うやってセンター試験は、実質、上位・難関校を目指す人にとっての
二次試験受験資格試験となってきたといえる。
なんだかんだいっても、国立医学部を目指す者は、理系といえど
国語も必須だし、古文、漢文も社会も必須である。
それで8〜9割の得点が要求されるのだから。
それとは別に、高卒認定試験として、高卒として最低限の学力を担保する試験に
分割することは自らが招いた事態を収拾するに必要な処置なのであろう。

願わくば、中途半端な学力のまま「卒業させられる」高校生を
なくす為に「新共通試験」が機能すればよいのだが。


posted by Koujin Amano at 13:07| 入試制度

2013年12月10日

[63] 入試制度「改革」とやらは...

身辺抄 
 信州に居を構えて早10年となり、GHS講師歴の半分は
ここからの通勤を重ねたことになる。
今年、あるきっかけから住宅リフォームを
行う運びとなり、
それが先月末ほぼ終了したところである。
何事でも「現時点での最先端」であったものはやがて当たり前となり、
あるいは、一昔前のモノ
なる。

 リフォームに至ったのには、いくつかの要素が揃ったからであるが、
理由の一つは、新築時の「最先端」の10年後が未定であったということだ。
たとえばテレビの当時の最先端はプラズマテレビであったが、
ブラウン管テレビは円熟の域にありしかも激安、
プラズマか液晶かの行方を見定めながらその時を待つことにした。
なによりも、住宅メーカーの方も
リビング壁にあわせた収納が、
奥行きの深い
ブラウン管向きタイプ
しなかった。
やがて液晶テレビに軍配が上がり、収納部の
奥行きが数十pも余ってしまう。

そのスペース分は部屋全体を広くできるわけだから、

作り付けのリビング
ボードを壊して、
テレビは壁掛け
とした。

これは当時では「物理的に」できないことだった。


その意味では、子供部屋もしかり。結果的には七歳離れての男、女の順であったが
これなどは予想しようがない。上の息子が大学に行く頃、下の娘はまだ小学生、
それにあわせた変更が必要となったというわけである。

逆に10年後が読めたものもある。それは無線LANとエコキュートだった。
いずれ普及し進化することは確実に思えたので、その導入時期をまったのである。
これが第2の理由である。

もう一つの理由は、四季を通して住んでみないとわからない点である。
これなど設計の時にはどうにもしようがないし、周囲の環境の変化という
こともあるし、時が経て漸く現れてくるものもある。
たとえば、壁を一部ぶち抜いて夏の間の風の通り道をつくってもらった。
住んでみてこそ風の流れに気付けたのである。


センター試験の「功」......
 GHSの塾長ブログ2013-10-16でも取り上げられているが、共通一次〜センター試験とつづいた
30年の歴史がついに終わり、新制度改革となるらしい。

共通一次、改め、センター試験については、色々に批判されているだろうから、
私はあえて、センター試験の「長所」を述べておきたい。
というのは、新制度が、「産湯とともに・・・」のような愚かな改革でないことを
願うからであるし、その評価の尺度にもなりうるだろうからである。

私自身は、共通一次世代である。高校時代、「共通一次が始まるぞ!」
という話に戦々恐々としたものである。そんなちょっと昔話....。

国立大学受験が大半であったウチの高校は、よくある地方の県立進学校である。
そういう伝統もあり、一年生のうちからすべての科目を履修したものである。
一年生が、生物と地学、地理と倫理社会
二年生が、物理と化学、世界史と政経、
三年生では文理にわかれたが、文系として日本史を履修した。
理系は化学IIとか物理IIにすすむわけである。

形としてはすべて履修するのだから、
共通一次にあたっては、好きな科目を自分で選べということである。
まあもちろん、教わった内容やレベルは満足ではなかったが、
       すべてのテーブルを用意する
という姿勢を崩さなかった我が高校には今更ながら矜持を感じる。

別の面からいえば、「そのテーブルに出された料理が満足できなかった」から
私自身は、今までGHSにおいて、その欠落を埋めようとして来られたのであり、
「テーブルについた」ということだけでもとりあえず意味があったなあと思う。

どれを選んでもいいように全科目を履修させる、それが教育する側の良心であり、
その外枠をはめるものとして機能したのが共通一次試験であったといえる。

要するに、高校では理社すべて履修したことになる。こんなことはホントは当たり前の
ことなのだが、これを聞いて驚く受験生も少なからずいることだろう。
・・・・というのも、昨今の高校では、履修科目を絞るらしい。
GHSの授業で生徒に聞くと、たとえば化学・生物選択と早々に決めさせられて、
物理の授業とは名ばかりの無内容で、実質0で卒業したとか、
日本史は教科書をもらっただけ....?とか、ひどいのになると、
すでに私立高校受験の段階で、中学校において「理科や社会が受験科目にないから」
中学の内容がほとんど残っていないとか、授業そのものが受験科目に置き替えられていた
という有様である。……教師と生徒との「妥協の産物」としてのグレーなやり方である。

人間というものは皆、どうしても易きに流れるものだから、逃げ道を用意してやれば、
否応なくそこに引かれ、レベルが落ちていくものなのである。

その意味で、共通一次の初期は、必修科目に選択の余地がなかったし、
理科も社会も二科目選択の1000点満点という硬派なものだった。
地方の県立の進学校でそこそこの成績でも、80%取るのは中々難しかった
試験問題であるから、受験生にとって巨大なハードルとなったのは確かである。

・・・・となれば、当時の私は京都大学を志望する以上妥協も逃げも許されなかった。
どんな壁であろうがハードルだろうが、そこを乗り越えねばならない、それだけである。
すくなくとも、難関大とか医学部志望を口にするのなら、
「逃げ道」を考えただけでアウトと知るべきである。
これをすべての受験生に適用すれば、たしかに「新たな受験地獄」をつくった
だけであろうし、教える側も負担増であったはずだ。
しかし、対象を限定するならば、話は別だ。
「いやしくも最高学府を目指すなら、この程度の試験で80%はとらないと受験資格なし」
「医師を目指すなら、10%以上のミスをおかすヤツは適性なし」くらいの厳しいことを
いってもいいはずである。社会に対するそれだけの責任を背負うのだから。

 それゆえ、「妥協の余地がない」・「逃げ道がない」
・・・・これが初期の共通一次試験の美点であったとあえて言おう。

だから(?)、今回の新制度提案の中にもあるようだが、この初期の妥協を許さない精神、
要するに、
「大学に行って学問したいなら、それに恥じない勉強をして来い!」
「大学は学問の府である、勉強で楽をしたいなら来なくてよい」
という姿勢を貫いた「新共通試験」を‘復活’させてほしいところである。

 当時文系であった私が、地元の小さな予備校での一浪時代に一番勉強したのは、
物理であり化学であった。得意であったのではない、まずもって、
     物理や化学をとるのは科学の学びとしては当然だ
という気持ちがあったからである。文系を選んだ者としての、若さも手伝っての
矜持であったと思う。もちろん、それは共通一次試験に課せられていたからであるが、
極端な話、それがなければ医学部再受験ということも発想できなかったかも知れない。
理系として「物理IIと化学IIも学んでみたい」と思えたのはその土台があったからである。
もしそれがなければ、『体系化学』はなかったかも知れないのである。

センター試験の「善行」
 さらにもう一つの「功」といえるのは、国語に選択の余地のない古文と漢文を入れ、
配点を半分100/200点も与えたことである。
 漢文の授業は、高校一年時に、週一コマ50分だけであった。古文はもう少し多かったが
特に漢文などは、理系にとっては「ムダ」と映るもので、もし試験科目としての
縛りがなければ、曲がりなりにでも学ぶ受験生がいなくなるであろう。

 実際、私立の文系しかも文学部でさえ、入試で漢文を課している大学はほとんどない
現状をご存知だろうか。主たる理由は、「そんなことをすると受験者が減る」からである。
経営優先、商業主義の前には、「漢文」の長き伝統も無力なのである。

ところが、この流れに完全と逆行するのは
東大であり、理系にさえも
二次試験に国語課すのみならず、古文・漢文も出題する、というスタイルを堅持している
ことはさすがに立派な見識だと思える点である。
(私的なことを言えば、そのおかげで国語も点を上乗せすることができたゆえに、
合格できた面がある。)

 とっかかりは「試験科目にあるから」であっても、そのテーブルにつけば、
図らずも段々と身になって行くこともある
。よい指導者と出逢い,開眼することも
あるのだから。私自身も、そのおかげで古文や漢文のために相当なる時間と努力を
費やすことになったのは事実である。
その与えられた機会を活かすか、モノにするかは本人の主体性次第ともいえる。


センター試験の「鎖」
 共通一次試験のそもそもの善なる目的の一つは、大学入試の難問・奇問をなくす、
ということであった。各大学が自由勝手に入試問題をつくる結果、解く価値も、
意味もみえない、どれが「正解」かもわからない入試問題が ‘問題’となっていた。
 これに対して、共通一次試験は、大学入試センターが一元的に作成し、
かつ、なんと
「正解」を公表するようになった。これは画期的なことだった。

 これで問題を作る側には「重い鎖」がつくことになる。
「はたしてその答えがちゃんと導けるのか」「別解の可能性はないか」
そういう目でみる全国の受験生、高校の教師の存在、そして、
なによりも予備校の講師達の厳しい評価に晒されることになるわけである。
さらに、内容の思想的な偏りの有無とか、難易度のバランスなど多くの項目が、
毎年査定されることになったのである。

 そのため、問題作成にあたっては、事前に幾重にも推敲することが必要となり、
とりあえずは、万人が「答え」と認めるものが「答え」であるという状況が作り出された。

 ニュースによれば、「新共通試験」は、二種類となるとのことである。
高校卒業の学力を担保するための資格試験的なものと、もう一つは、
選抜試験的なものとのことだが、こちらこそ上で述べた「功」を受け継いだものに
なることが肝要だろう。
 共通一次試験は、その一般的理念はまあよかったにしても、
何を問うのか、どんな学力をみるのか、といった試験問題の質という点や
現場の指導力の質的向上という点からみれば、時代的に尚早であったともいえる。
どんな学力をどうつけるか、という現場に下ろすべき教育メソッドもなく、
選択の余地のない硬派な試験を導入したものだから、低いままの学力にあわせて
問題を易しくし平均点を調整したり、指導要領を改訂して内容を減らして
「ゆとり」をもたせる羽目になった。

そのためたとえば化学などは、計算問題の大半は化学IIに追いやられてしまった。
文系だった私が、共通一次試験のために身につけようとしたかつての「化学I」の
多くの部分が、今のセンター試験では、範囲外という有様である。
『体系化学』があのような構成をとったのは、そんなインチキな線引きに
迎合せず、化学のあるべき学び順を提示したかったからに他ならない。

またさらに、必ずしも想定されてされていなかった少子化による大学経営の悪化があり、
またその補填のために予想以上に商業主義に流れた経営陣によって、
試験制度の骨抜きと、「現場」への妥協がこれに拍車をかけた。
国立も私立も、「定員割れ」という事態をおそれるあまり、易しく狭くなった
センター試験をさらに軽くし、選択式にしてしまった。
そうして、「知識暗記」レベルの学力さえももたない低学力受験生と、
それでも大学生にはなれるという状況が蔓延したのである。

その意味で、約30年も経過してのリフォーム案には、遅きに失した感も否めない。       
                              《続》

posted by Koujin Amano at 09:23| 入試制度

2013年11月02日

[62]実力テスト直前

身辺抄 ー長寿県・長野県ー 
 今朝の外来で、「施設に入るための診断書」を書いてほしいとの依頼あり。
男性、飲んでいるクスリはなし、たいした既往歴もなし、血圧も正常、
レントゲン,特に異常なし……年齢はと・・・91歳!だ。
 さすがに、足腰が弱って移動は車イスで、耳も遠くなってきているが、
肌つやもよいし、どこといってワルくない。大したものである。
 信州は、今年「長寿日本一」になったが、そういう健康長寿の
高齢者にしばしば出合い、年齢をみて驚かされることがある。
付いてきたのは娘さんだろう。ご本人の耳元で大きな声で話し、
診察の介助をしてくれた。
「長寿県日本一に、あきらかに貢献している方ですね」(笑)

 自宅の裏は里山になっていて、頂上には信玄時代の旧跡などもあり、
また寺などもあるので、しばしば山道を登るのだが、日当りの良い
緩斜面では、信州特産のリンゴがあちらこちらで栽培されている。
その手入れをしているのは、たいていは70歳代とおぼしき高齢者であるが、
どうみても転ぶと危険な斜面と坂道で、淡々と作業をこなしている。

そんな中をいかにも「いい汗をかくのが目的です」という格好して
登っていくと、
「ごくろうさまですな」などと声を掛けらる。なんだか恐縮して
「どっちがご苦労だよ〜」と心の中でツッコミを入れたりする(^_^;)。

やるべきことがあり、世話すべきものがいて、自分がやらなくてはいけなくて、
そこに必ず「成果」があること、信州の畑の仕事や山の仕事は、
そういう生き方を支えているのだなぁと思う。
「もう年だから・・・」とかいって町中のマンションなんかに老親を
引き取ったりして「親孝行」とすると、途端に認知症になったりする例も
少なからず。そのどちらにも触れる日々の仕事である。


実力テスト期間にて 
 GHSでは、第二学期の実力テスト週間を迎えている。
生徒は、ここまでの復習や進度調整をしつつ、週末の実力テストに臨む。
私も,二学期開始から二ヶ月余り、ちょっと一息つきたいところ。
今週末は、秋深まる信州にとどまり、心身を休めて、
生徒達の入試に向けてのスパートに備えたい。

 これまで今年の授業進度の話を何度かしてきたが、その後も順調にて、
たとえば、体系物理では、力学、熱力学、電磁気力学を説き終え、
最後の柱である波動(力)学の第2回目の講義を終えたところ。
12月初旬、二学期内で受験範囲が全部履修できることになる。
 例年は時間不足にならないよう、物理は150分×1であるが、今年は、
120分×1ながらこの進度である。もちろんそれは、卒生である石井先生が、
「物理演習」を引き受けてくれているから、問題を欲張らず、物理法則と
その体系性の理解に傾注したスタイルになっているからである。

有機化学は、すでに高分子の、二番目「炭水化物」を終わり、次回は「タンパク質
・アミノ酸」に入り、やはり二学期中に全範囲をおわる。
これは、テキスト化の役割が大きい。有機のテキストは9割方完成というところで
本文と図版はほぼ固まって、いま、高分子の箇所を授業にあわせて加筆修正している
ところである。その意味で、『医大受験』に公開する気になったのである。
 今年は、演習問題を各章で追加して演習に傾ける時間を増やしている。
あとは、問題の解答・解説のデータ化だけである、が、答えだけ載せるなら
ともかく、授業での思考プロセスを紙上で行うことの困難は、先にのべた
通りである。

 体系化学の方は、クラス分けをしたこともあり、例年のセメント&ドリルよりは、
アドバンスに振った内容にしている。『体系化学』は独力修了しているという
前提で、著者としてその行間を埋め、かつ、問題のバリエーションを広げ、
「難関」を目指す者にも向けて、その先の応用へと、あらたに問題を追加しつつ
ここまで進んできたが、すでに「化学平衡」の解説演習を修了し、
化学反応公式5までカバーした。6や8は有機化学向けでもあるので、
すでにある程度はすませてある。実質、『体系化学演習』はカバーできたので、
いわゆる「無機化学」に入ったところである。

「無機化学」なんてない
 GHSではずっと以前から、「理論化学」・「有機化学」・「無機化学」
という分類は有名無実、愚の骨頂といってきた。

 改めて簡単にいうと、化学は「定量化学」と「定性化学」の両面から
捉えるべきであり、体系化学は、「定量」の面から筋を通したものである。
そもそも「理論」とは論理の全体を指すのであるから、その部分に
「理論化学」などという名称を与えてフシギに思わないのは、
それを唱える者の理科的国語力の乏しさ以外の何ものでもない。

 それでも「有機化学」は、「一般化学」に対して、
物質の生命性を加味した応用化学分野であるからそのままでよいが、
そもそも「無機化学」なんていうものはない
それは、いわゆる「理論化学」の中身にすぎず、
一般化学にいれるべき内容である。

 実際、参考書や問題集の「無機化学」を眺めてみれば明らかなように、
新しいことは何一つないことに気付くはずである。
それは結局、そこまでの内容を、元素ないし周期表の順にしたがって
タテ割りでまとめなおしただけのものである。

 さらに(ここが大事なのであるが)現行教科書の単元に入らない
雑多な内容を押し込める「ハコモノ」でもある。
体系性のない単元構成であるだけに、置き場所に困るものが
少なからず出てくるのである。

 だから、「無機化学が苦手です」「無機のよい勉強法はないですか」
などという質問をしてくる生徒は(GHSでも1学期の内はいるが・・・)
要するに、化学を一般的にキチンと学べてないこと、基礎学力がないこと
を白状しているにすぎない。

「無機」を「無機」として学ぶことはできないのである。

『体系化学』を繰り返し学んでいくと、同じ物質が色々な場面で
活躍しているのがわかる。それを一本につなげていけばよい。
それが「無機」の学びの基礎となる。
それをふまえて授業では、+αの知識を付け足して行くわけである。

したがって、「無機」の勉強の仕方は、それ自体を学ばないことだ
という逆説的結論となる。すでにある知識を別の角度から学び直すべき
のが「無機」であるから、まずはそのモノをもつことが先決である。
 
posted by Koujin Amano at 12:25 | TrackBack(0) | カリキュラム

2013年10月03日

[61] 『医大受験』は3年目へと

身辺抄
 先週、九月末の日曜日、快晴まさに行楽日和。

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いわずと知れた、「世界文化遺産・富士山」の五合目である。
180度反転して、もう一枚。

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        ♫アータマを雲の上に出し〜 ♪
という歌詞はホントに正しいのかなと思ってしまった。

というのも五合目で十分こんな雲海が望めるのだから、
オナカとかヘソあたりから雲の上に出してるだろう!
(・…・)などと誰に絡むでもないツッコミモードだったのは、
酩酊していたからだろう。

なぜ富士にいったか?
もちろん、「世界遺産になったから即Go!!」というほど身軽ではないし、
また純粋でもない。

朝っぱらからずっーと宴会で着いたときにはもうご機嫌……
というのも、これは楽しいバス旅行なのである! 

実は、地元医師会の恒例行事に、参加(いや参戦か)したのである。
昨年度、病院の管理者となったおかげもあり、
医師会の行事などにも顔を出すようになり、知り合いになった。
これまでは、元々群れるのがキライで、伝統的な組織には馴染めなかった
性分で、医師の友人なども1人、2人...だったのだが。

ただ、顔ぶれをみると、ほぼ同時代を生きてきて、
今医療の前線で活躍している人達である。
交流を重ねていくとと、やはり自ずから通じるものがあるもので、
誘われるままに参加した次第である。

大都市圏とちがって、地方都市では医師も数は多くはない。
そのほとんどは、私みたいに信州の地が好きで住み着いた医師か、
地元出身者でUターンしてきた医師で構成されているから
もともと仲が良いのである。というか争っている場合ではない。

限られた医療資源なのだから、皆助け合って地域医療を
一緒にやっていくんだ……という「善い心持ち」を
共有しているのを感じる。

予備校の仕事?その反応
……そうするうちに話の流れで
「週末は東京の予備校で教えてます」(・◇・)!という話になる。

「なにー!!(`ヘ´)、医者としての仕事にもっと専心すべきじゃないのかっ!」
・・・・とか言われることは、まず無い。
「へえー、まだ物理とか化学を覚えてるんですか?すごいですねー」
「やっぱね、さすがだねー」とか言われて、色々と質問されて、
かえって、妙に親しくしてもらえたりする。

 まあたしかに、同時代の受験をくぐっていれば、
東大医学部受験がどれほどに難関であるか、
無謀ともいえる挑戦であるかは、事実的にわかっているもの。

 そろそろ自分たちの子供の受験は避けて通れない。
医師というものは、それぞれが専門の知識に特化していくもの。
ベテランになれば、専門分野については安定感をかもしだす。
中には、出身大学で非常勤講師や指導をしているドクターもいるのだから
そちらの方がよほどに“さすがですねー”というべきなのだが、
それは逆に、一般的な「学力」は失われているということでもある。
だから、大学受験生に科目を教える、というのは“特技”ないし
“特異的能力”に映るのだろう。

そんなこんなで信州の地に落ち着いて十年、色々な部面で
こんなふうに「居場所」ができてきた。その「居場所」が安定して
いるほどに、GHSへの出講もまた余裕と確実性をもってできるわけだから、
うまく両方面のバランスが取れてきている。
これが私の「ライフスタイル」っていうヤツかなと思う。

身辺抄・追
 そういえば、一点言い忘れていた。この8月半ばに転職した。
昨年4月に前職場で「病院長」を引き受けることになった旨を述べたが、
この8月で、トータル約2年に渡る契約期間が切れるのを待って、
地域の中核を担う病院へと移ったのである。
というのも、上で紹介したように、新たに親交を深めた医師仲間が
働く病院から「一緒にやろう」と誘いを受けて、
「とらばーゆ」(旧いかな?)したわけである。
まあ、見方によっては、カッコ良くいうとヘッド・ハンティング」
と言えるかもしれない。一応、それなりの「役職」についてはいるが、
平日は、外来と病棟での診療の日々である。

「どうせどこかで働かなくてはならないなら、楽しくやれるところ、
やりがいのあるところ、良い仲間がいるところ」ということだ。

実際、このバス旅行には、病院の医師仲間三人で参加した、
自称‘精鋭’というべきか、‘悪友’というべきか、ただの酒好きというべきか、
……こんなふうに肩の力を抜いて、しかし、淡々と着実に仕事をこなしていく
そんなライフスタイルである。
こういう生活の基盤があるからこそ、GHSも医大受験連載も
無理のないペースで愉しくやれているわけである。

「働き過ぎでしょ」「文章書くヒマがいつあるの?」「休みあるの?」
などと心配いただく向きも少なからずあり有り難く恐縮であるが、
その点、上記の話しで伝わるものあれば幸いである。


『医大受験』・第9号
 「季刊」だから、つまりは三年目に入ったわけである。
11月20日・冬号の発刊にむけて、化学、漢文、医薬エッセイ
すべての原稿の校正が終了したところである。
 ここ最近は、前月20日〆までギリギリの“攻防”になっていた
のであるが、転職効果もあって着々と仕事が進んだ次第である。
もちろん9月からの二学期スタートとの重なりの中でのことである。
あわせて、今回は故多田正行先生の追悼号ということで、
思考訓練の場シリーズの著者として、また、GHS講師として
「追悼文」を献じさせていただいた。

 さて、先日の授業では「体系化学アドバンス」の連載記事を、
育文社からデータでいただいて、第1〜8号までを冊子にまとめて
配布して、活用した。
 あれだけの内容を授業で口伝するのは色々と大変だから、
サブテキストとして利用できるようになったのは有り難い。

気がついてみると8回分で、100ページにおよぶ内容である。
連載公開という「ハードル」があるから、
授業でつくったデータを元に、文章的にも内容的にも再度整えることになり、
質的にアップした原稿となっている。

やはり、さすがに「ヒマ」ではないから、このように何かに手を引いてもらって、
誰かに背中を押してもらわないと進まない仕事もある。
その意味で、『医大受験』は有り難い存在である。

ところで、「体系化学アドバンス」は、次回の第10講を一区切りとして、
いったん終了することにする。それは上で述べたように、
GHSのアドバンスクラスでも使える適量のコンテンツが揃ったという区切り
でもあるが、と同時に、ここからアドバンスの道を進むには、どうしても
「有機化学」の内容に触れなければならないという事情もある。

したがって、来年度の第11号からは「有機化学」の連載開始となる。
では、次号のアドバンス・とりあえずの‘トリ’は何になるか?
それは予想して待っていてほしいが、現行の教科書での取り扱いが、
あまりにも不備でいびつな箇所に対して、体系化学テキストの
行間を埋める内容となる。山田社長には、次回は是非にカラーページを
少し分けてほしいとお願いしてある
posted by Koujin Amano at 14:44| 『医大受験』

2013年09月02日

[60]夏の終わりの・・・2013

 夏期のトリは 
 8/31の土曜日は、GHS夏期期間の最後の日であったが、私の授業で〆となった。
幾度となく書いているが、私の場合は医業の関係で、通常の夏期講習のような
五日間連続の帯授業はできないので、通常学期と同じ週末パターンで日程を
くんでもらっている。今年はたまたま、8/30-31が週末となったわけである。

 今年の私の授業の特徴を一言でいうとすれば「最速」である。
一学期の最初に書いたが、GHS卒生をはじめとする「戦力」が年々
厚味を増していて、今年は次のようなChangeがあった。

 (1) 体系化学のセメント&ドリルの授業を二つに分けることができた
 (2) 体系物理の演習を講義と独立して任せることができた
 (3) 化学・物理のテキスト化がすすんでいる

このような点で授業が効率化され、今年は昨年よりさらに進度が出ている次第である。

体系化学+アドバンス
 実際、7月最後の化学の授業は、「電池の歴史」であった。今度医大受験に
掲載予定の話で酸化還元の〆となり、8/31の時点で化学反応公式[4]の熱化学に入った。

したがって、二学期の授業はほぼ最初から「化学平衡」である。
二学期の前半をたっぷりと化学平衡の演習にかけて
入試化学の最後のヤマを乗り切ることができる、
受験生として、なんと幸せなことではないか・・・
私の受験生時代の不満足を振り返っても詮無きことだから、
せめてGHS生に「倍返し」で報いてやればよい・・・。

 クラス分けができたことは、単に進度の問題ではなく、
深度にもかかわことになった。というのは、当初の予定にはなかったが、
『医大受験』に連載している「体系化学アドバンスA-100」の中身も織り交ぜて
体系化学テキストを深める授業のレベルに設定できているのである。

連載ということは、テキスト化されたのと同じであるから、
コピーを配布してテキストとして用い、そこに演習問題をプラスする。
また、逆にこの授業で行った内容をプラスして
次の『医大受験』の原稿につながるというような良き循環となっている。

体系物理+物理演習
 
物理演習も、卒生である石井先生が面倒見よく意欲的にやってくれている。
彼は体系化学と体系物理の修了者であり、また、彼の所属した年度は、
なかなか‘粒ぞろい’であったから、物理・化学のアドバンス演習を
かなり本格的にやった年でもある。
その成果もあるのであろう、体系物理の授業と完全に連動しての
問題演習量を相当量こなしてくれている。
 その分、私の講義は物理の体系性と法則性の理解に集中できるし、
「万有引力」や「モーメント」などのマイナー項目もワンポイントで
カバーするという「八面六臂」の活躍をしてくれている。
そのおかげで、8/31の時点では、一学期の力学、熱力学につづき
電磁気のうち「静電気力学」を終え、直流に入ることができた。

この調子では二学期の早いうちに波動に入り1周目を終了できるだろう。
やはり物理は定着までに時間がかかるので、
一周終わるまでをいかに早くするかが積年の課題であった。
現在「体系物理テキスト」はver.3であるが、この演習との連動を加味して、
さらなるリニューアルができそうである。

有機化学エッセンシャルズと演習
 有機化学は、第2学期から高分子に入る。これは「最速」である。
今年度、読者倶楽部会員の「とっとさん」の多大なるご助力により、
板書イラストを挿入した「有機化学テキスト」vol.1が簡易ながら製本段階となり、
今年はそれを用いての授業となっている。
 必要なことはすべて文章化してあることもあり、問題演習をメインにすえて
解答解説のデータ化を念頭に、授業形態をすすめてきた。

今年は、例題だけでなく類題演習をすべて解き、さらに追加問題を加えて
8/31となった。深度を加えてのvol.2「有機高分子」突入だからよけいに意義深い。
この「有機高分子」も二学期前半で終えるから、そのあとには
「有機化学アドバンス演習」というかたちでの充実期をも、GHS生と
ともに歩む時間が確保できることだろう。
posted by Koujin Amano at 13:35| カリキュラム